琵琶湖疏水

インクライン

 逢坂越えや日ノ岡越えは輸送上の難所だったが、疏水の開通により琵琶湖から京都への舟運が可能となった。

 しかし発電所を作るのが疏水導入の主目的であるから、水を大きな落差で落とさねばならず、その部分は当然通船不可能となる。
これを解決するために作られたのが、インクライン(傾斜鉄道)である。英語ではケーブルカーを意味する。

 九条山から蹴上にかけて標高差36m、勾配1/15度の急坂に582mの長さの軌道が敷かれ、台車を上下させた。
三十石船がそのまま台車に乗せられて蹴上船溜と南禅寺船溜を行き来するさまは人の耳目をあつめ、弁当を持っての見物客で賑わったという。

インクラインはもう一つ伏見にも作られた。疏水と濠川を結ぶもので、伏見城外堀跡に設置された。また、落差を利用した発電所が墨染にも作られた。

しかし時の流れは早く、輸送は鉄道が主体となってゆき舟運は徐々に衰え、昭和23年に途絶えた。伏見のそれも昭和41年に撤去された。
いまは蹴上の軌道跡に錆びたレールを残すのみである。

台車と船 車輪
インクライン軌道跡

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