琵琶湖疏水

疎水を歩く

− 鴨川運河  塩小路〜福稲 −

 鴨東運河が荒神橋下手で鴨川に注ぐ前、水は南へも振り分けられる。
以降鴨川左岸沿いに流下し伏見に至るそれを「鴨川運河」と呼ぶ。ふつうには単に「疏水」と呼ばれる。

 京阪本線地下化の前は全て開渠であったが、現在は川端御池付近から塩小路までは暗渠となっている。
この間、宮川筋から松原通にかけて一部開渠がある。
上左写真は左京区で暗渠となる地点(2003/2/5撮影)、上右写真は松原通から見た開渠部分(2005/11/20撮影)

塩小路通から 塩小路下の開渠

 川端通と鴨川の間をずっと暗渠の中だった疎水が再び地上に顔を出すのは塩小路から。京阪本線と離れてから。
暗渠の導水管から放たれる水は逆巻き、迫力。写真に散る白いのは汚れではなく雪。かなり降っていたが画面には案外映らない。
上左写真の奥の鉄橋は手前が東海道本線、灰色のコンクリートは新幹線。
疎水沿いに南下を開始。

一之橋から北  工場は三洋化成 一之橋から南  右手に鴨川

一之橋 疎水沿いに歩くと言っても、塩小路から下しばらくはまともな歩道は無い。車道と疎水の堤の間の溝みたいなところを、そろそろと歩く。折からの風雪、道端はびちゃびちゃで滑り危ない個所もある。交通量はさほどでも無いが、飛ばしている車が多い。
上写真は何れも一之橋(写真左・2002/10/13撮影)から撮ったが、これを山手にゆくと泉涌寺道となる。泉涌寺は月輪陵を抱く「御寺」で、二十を越える御陵が鎮まる真言の寺。一之橋からは近鉄の鉄橋が見え、振り返ると新幹線の高架が見える。

岸ノ上町 御所ノ内町

 近鉄の高架をくぐって尚も南下、福稲地区に入る。このあたりは疎水と鴨川に挟まれた中州のようになっている。花札やトランプのメーカーとして認識されていた頃の任天堂は確かこのあたりにあったと記憶している。
上写真左の奥に見える高架は九条通から東大路に架かる東山橋。九条河原町から鴨川と疎水と、近鉄と京阪を一気に跨ぎ東福寺門前に至る長大な高架橋である。上をついっと車で走り抜けると、鴨川は認識できても疎水にはなかなか気付かないが歩いてみると面白い。
その高架を過ぎた頃から、山側にささやかながら歩道が付くようになる。桜や欅の並木も現れる。落ちると危ないので疎水にはきっちりと柵がしてある。疎水は勢いよく流下するので、昔は身投げなどもあった。

福稲柿本町 福稲上高松町

 福稲柿本町では水門が設けられている。鴨川のほうへもゲートがある。この日は本流ゲートは全放、鴨川へのそれは閉じられていた。
上写真付近では疎水は緩くカーブを描いて流れる。
歩道は少し広いものとなる。地道で、気の早い春の草花が萌え出している。鴨川とはいよいよ離れてゆく。

十条通 京阪本線の鉄橋

 まもなく、十条通の橋が見え出す。この先しばらく山側に道は無く、疎水右岸側にスイッチ。あたりはなにやら工事中。
十条通は東山区と伏見区を境する。通りからは京阪の鉄橋が渡っているのが見える。ここから先疎水は深草をまっすぐ南下し、墨染の発電所を目指すことになる。

撮影日 断りの無いものは2003/3/9


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