大戸川  ■ 田上山の裾を巡る  大津市田上〜南郷


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■ 谷口

大津市上田上中野町 県道108号南郷桐生草津線・荒戸橋から
左上流、右下流望

 山峡を抜けた川は、堂山の裾をめぐり平地に出る。
大きく川幅を広げ、堰上では浅瀬、堰下では両に竹からなる豊かな河畔林を従え、悠然と流れる。
荒戸橋のたもとには帝産バスの溜まりがある。今も昔も谷口が交通の要衝となるのは変わらない。

■ 田上山の裾

堂山 山頂部 太神山山系の禿山

 田上山(たなかみやま)は、大戸川最下流部の堂山、笹間ケ岳、太神山等の総称。
これらの山からは平城京造営のための木材が大量に伐り出され、以降放置されたため禿山となった。
ために山肌には表土が露出し崩れやすく、大戸川水系がこの砂を運ぶため、瀬田川への流れ込みに瀬を作ることとなった。
この瀬は、瀬田川渡渉点として要衝であっただけでなく、治水上の大きなポイントでもあり続けた。
近代以降、田上山には砂防と植林の手が入り、徐々に緑を取り戻しつつある。
*大戸川を田上川(たなかみがわ)と称する例あり

■ 瀬田川に注ぐ

大津市黒津 29号瀬田大石東線・黒津橋から
左は上流、右は下流望
(右写真奥の堤は瀬田川との背割)

河床 上流からも観察される大戸川の特徴の砂は、最下流部でも同様。
途中に幾つもの堰堤があるにも関わらず、左写真の如く激しく砂を運んでいる。
陽光を受けた河床は鮮やかに輝く。
ごく浅いので、たくさんの水鳥が河床に立ちこんでいるのが見られる。
 ここまで来ると堤も高くなってくるが、支流群ほど著しい天井川にはならない。

 瀬田川に注ぐに際しては、長大な背割堤を介する。
黒津から太子にかけての最下流部には、連続して堰が設けられている。
かつてここにあった網代や供御瀬を偲ばせる風景である。

大津市黒津 大津市太子
最後の堰 背割堤の舳先

 琵琶湖工事事務所などが乗るデルタの下で、大戸川は瀬田川に注ぎ流程を終える。
下流から望むと、大日山や、石山寺のある伽藍山の向こうに比叡の山なみが遠望できる。

瀬田川・大戸川合流  左が瀬田川、右が大戸川

 瀬田と大戸の合流には、大戸の運んだ砂が堆積し、室八島・道場が島等と称された砂州が形成されていた。
治水上でホットスポットとなるここには、元禄期に川村瑞軒の手が入り、浚えたとも掘削したとも伝える。
現在も背割堤の下、大戸から押し流されてきた砂が瀬田の流れとぶつかり、浅瀬を作り出すさまが見られる。
いま、昔の渡渉点をいずことも定め難いが、瀬田の橋が落とされるとき唯一軍勢の渡るポイントとして、古くは壬申の乱、源平合戦、承久の変などの舞台となったことを思うと感慨深い。江戸期には膳所藩の管轄となり、常に浅瀬の保全がなされたという。

撮影日 2001/5/13、2003/9/23

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