南禅寺界隈別荘庭園群その他の水系
最初に疏水の水が庭園に用いられたのは明治26年、円山公園の噴水に導水されたのが初めてという。疏水の配水は、このような公的施設への用としてはじまった。円山公園へは土管で通じ、今も滝組の上に確認できる。
翌年には作庭家・小川治兵衛が、隣家の庭に疏水の水を引いている。その翌年には、第四回内国勧業博覧会会場(現・勧業館=みやこめっせ)の噴水用として引かれた土管を延長して平安神宮に水が引かれ、神苑の庭を流れることとなった。同年には、蹴上船溜系から無鄰庵への導水工事がはじまる。山県有朋の私邸への導水は、個人宅の庭に疏水の水を用いるはじめのもの。以降、治兵衛の手になる、南禅寺界隈別荘庭園群の「流れのある庭」を現出させる基となった。
疏水配水系統 青のラインが水みち、灰色が暗渠、オレンジは庭園へのルート *図のスケールや送水ルートはデフォルメして描いています。 現在は御所等、送水されていないものもあります。 |
■ 蹴上船溜系
明治20年代に埋設された土管の取水口はいずれもインクラインの上、蹴上船溜につくられた。
お東さんへ導かれた水は、万が一の際の防火用水。事あるとき、大屋根へ一斉に放水するシステムが作られている。ふだん水は濠を満たし、よき水景をつくる。
御溝水など、別ルートからの取水となったものもある。
御所御溝水 建春門傍 | 東本願寺濠 花屋町通側 |
■ 発電所取入口系
明治30年に動物園に土管が引かれ、前後して都ホテルへの導水も行われた。
動物園への系統は、後になって無鄰庵と旧市長公舎(現・国際交流会館)に水を分けるようになる。
30年代後半には稲畑邸(和楽園、現・何有荘)・横山別邸・對龍山荘への導水がなされた。
庭から庭へ、水を二次利用するスタイルも出てくる。
南禅寺境内水路 |
■ 扇ダム系
明治40年代に入ると、別荘開発の中心は北へ移ってゆき、鹿ヶ谷付近まで広がる。
水は疏水分線の扇ダムから取水された。
この時期の庭には、小川治兵衛円熟期の名庭群がひしめいている。
塚本邸(織宝苑・清流亭)、野村碧雲荘、有芳園などが代表的なものである。
扇ダム放水路 上/放水口、下左/東山高校脇、下右/碧雲荘脇 |
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これらの庭園群のほとんどは、私邸で非公開。
今は企業所有となっているものもあるが、ほぼ迎賓施設などとして使われておりやはり非公開(碧雲荘→野村證券、有芳園→住友、真々庵→松下電器、織宝苑→龍村美術織物など)。
平安神宮神苑、円山公園、無鄰庵、洛翠荘は拝見することができる。
円山公園以外は有料、洛翠荘は「ゆうりぞうと京都・洛翠」(郵政省共済組合宿泊施設)として営業している(業態が変わることもあるので、訪問時は要確認)。
※追記 洛翠は持ち主が変わって現在は非公開(2019年現在)
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*對龍山荘・無鄰庵・平安神宮神苑を拝見した時のレポートがあります。ご参考にどうぞ。
→疏水の庭
参考文献 「植治の庭」 淡交社刊