春の小川
早苗の季節、山裾の溜池から来る水路は、
小さな木の堰で田んぼごとに水を分けながら流れてゆく。
身近な空間からは既に失われてしまった風景。
このような農業用水路こそ唱歌に歌われた「春の小川」。
食糧自給率を今すこし上げて、
この風景を取り戻したいと考えるのは浅薄な考えだろうか。
土の畔にはミゾソバの群落。
この草さえ用いた欧化以前の文化と、
何もかもコンクリートとアスファルトで固めた挙句、
人間にすら住みにくい環境を現出させた文化と。
高度成長期、幼い私の目の前で
「私の春の小川」は暗渠になってしまった。
ドブに蓋をします、というのが
その頃の市会議員のおきまりの公約だった。
自民党の議員も共産党の候補者も同じ主張をしていた。
大人たちは戦後経済のただ中でがむしゃらに働き、
学生たちはよその国の戦争を議論していた、あの頃。
撮影地 奈良県天理市
遠景の山は龍王山、手前の森は夜都岐神社の杜、水路は布留川水系
撮影日 2001.6.10