都市には思わぬところに奇妙なものが残っている。
赤瀬川源平氏の路上観察学会で取り上げられていた「トマソン」や漫画家・とりみき氏が蒐集しておられた「オジギビト」などに通じるどこか間抜けでユーモラスな、或いは土俗信仰的な一件が繁華街の一角や交通量の多い道の真ん中にぽかっと口を開けているのである。
そこでは時間が停滞し、周囲の喧騒と切り離された異界が顔を覗かせる。
木が繁っているのが道の真ん中だというのがお分かりだろうか。
ここは大阪市中央区の谷町筋・谷町七丁目交差点を入ってすぐのところ。周りは高いビルの建て込む街なかである。
そんなところでわざわざ道を少し曲げてまでこの一件は残されているのである。
よく見るとひときわ大きいクヌギには注連縄が巻かれ、根方には小さな祠が祀られている。
花は新しいものが献じられ祠には埃も積もっていない。どなたかが大事に清めていらっしゃるのだろう。
いわれとしてはかつてここが神社の境内だった名残らしいが、当世の道路事業のもとよくぞ残ったものと感心せざるを得ない。
ものが信仰に関わることだけに微妙だが、羽田空港に文字通り「取り残されて」いた寒々しい鳥居などとは少し違うように感じた。
口さがない者は祟りなどと取り沙汰するのだろうが、街にいくつかこんな形態が残るのは悪いことではないように思う。
たとえアニミズム的発想でもってそうなったのだとしても、それは何もかもばっさばっさと切り捨てて先へ突き進んでゆくやりかたに棹をさす営力なのではないか。なににも恐れを抱かなくなった文明は自壊するであろうから。
タイトルには勝手に「道中島」などと書いたが、ちゃんと「楠木大神」という名があるらしい。
木は背の高いクヌギを中心にクスノキや各種低木類などが狭い中州にひしめいている。
まわりをコンクリートで固められているのでしっとりとしたビオトープというわけにはいかないが、少なくとも大阪の町を棲家とする小鳥たちには良きハビタットであろう。街に残る林としても貴重なものと言える。
撮影日 2002.1.5.