恐れ乍らのご訴訟
一、去る寅年の洪水に玉串川の川口二重堤流失、新開・深野堤年々数十か所切れ、家屋敷まで水入りになり、殊に新開池・深野池川々まで悉く埋まり、本田より高くなり悪水も流れず、年々迷惑つかまつり候処に此度御助にもれ残念に存じ奉り候
一、今度所々川々御見分になられ候に付き、御助御普請なられるべく、有難く存じ奉り候処に、瑞賢翁も此頃江戸へ御下り成られ、かやうなる水場の御助も御座なく、殿様御参勤遊ばされ、数万人の百姓力を失ない残念迷惑に存じ奉り候、この分にては家屋敷まで水付けになり亡所つかまつり候、
願い右の通り御慈悲の上、聞召し上げられ御普請下し候えば高米七万石百姓永々御助に罷りなり候、新開深野の新田もできつかまつり申すべく、其上水損に逢ひ迷惑仕まつり百姓共あまねく御助に罷りなり有難く存じ奉り候以上
貞享四年四月晦日
河内郡若江郡讃良郡
茨田郡高安郡
御奉行様
※現存する古文書を書写しました