七衛門の首 1993CX

 禿城を囲む三輪軍、籠城は半年に及びキレた三輪のお屋形様は総攻撃を命ずる。城は炎上し累々たる死体の山、しかし大将・禿七衛門の姿が見当たらぬと報告入る。そのうち七衛門の首級と称し二つの首が持ち込まれ騒動に。禿方の捕虜の雑兵・狩りだされていた百姓の孫の証言により首は二つながら七衛門のものではないと判明、近くの山で切腹して果てている七衛門の死体が見つかる。しかし功を認められ釈放してもらい侍大将(一度も手柄立てたことの無い冴えない武将)から恩賞の刀を受け取った孫の言うには、証言は仕えていた禿軍の武将から指示された虚言。引き上げる三輪軍にもたらされた急使は三輪の城が友軍と信じた吉岡軍に攻められていて、軍勢の中に七衛門の旗印が見えるというのだった。

ロケ地

タイトルに重なる特徴のある山、曽爾村の鎧岳
三輪軍の野営の盆地、酵素
孫と争い崖から転がり落ちる石橋蓮司、曽爾高原


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