時代劇ロケ地探訪 清凉寺

山門 本堂
山門 本堂

 京都・嵯峨にある清凉寺は嵯峨帝の第八皇子・源融の別業があったところで、宋伝来の釈迦如来立像が人々の尊崇を集めてきたことから「釈迦堂」の名でも呼ばれる。みほとけは栴檀の香木を刻んだ生身の仏とされる。広々とした境内には多宝塔や一切経蔵、聖徳太子殿などの施設が散在する。

一切経蔵 多宝塔 門前町
一切経蔵のマニ車 多宝塔 門前町から本堂大屋根

 時代劇ではこの寺の本堂と境内の茶屋がよく使われる。本堂は江戸市中の寺に擬して用いられることが多い。清凉寺は江戸期に綱吉の寄進を受けて再興された経緯があり、どこかその時代を髣髴とさせるのかも知れない。

山門から本堂 茶屋
山門から本堂を見る 湯豆腐竹仙の床机
参道から山門を見る 境内茶屋・大文字屋の床机

 鬼平犯科帳「お峰・辰の市」では内藤新宿の天竜寺に見立てて使われ、境内にある緋毛氈の床机が目に鮮やかな茶屋「湯どうふ竹仙」も映っていた。うさ忠が本堂前で浪人者にボコボコにされたり、それを恨んで茶屋で浪人が再び現れるのを待って張り込んだりする。
そして鬼平ではなんといっても、印象的なエンディングに山門から見越しの本堂が浅草寺に見立てて使用されていることである。映像では大きな赤い提灯が画面左手にセットされている。和の美意識の粋を集めたような一連の映像とジプシー・キングスの哀切なギター曲「インスピレイション」が醸し出すえもいわれぬ情感で鬼平犯科帳は締めくくられる。同じ内容なのに必ず最後まで見てしまい、毎回楽しみにしているお気に入りの一件なのである。
「雨の湯豆腐」では殺し屋の時次郎が縁日をセットした参道で蝦蟇の油売りを見ている越後屋を針で一突きにして殺すシーンが撮られた。設定は浅草寺。「逃げた妻」では燕小僧を偶然見かけ尾行する平蔵のくだりで道具屋を物色するふりをするシーンにもうひとつの境内茶屋・十文字屋が使われている。ここは今宮神社のそれと似たあぶり餅が名物である。
同じ池波正太郎原作の剣客商売でも、浅草寺や秋葉権現として何度か使われた。
長七郎江戸日記「影討ち」では狂乱の藩主が命を狙っていることを藩主の弟・佐馬助に告げるシーンで長さんの背後に多宝塔が映っている。
江戸中町奉行所「裁きは無用!」では盗人宿の疑いのある西鶴寺を調べに入って、支配違いの侵入を咎められる水流添我童のシーンで使われた。

本堂裏手回廊

 本堂の裏手には、庫裏へ通じる回廊がめぐる。曲がり角からは弁天堂と園池が見える。
ここは、大奥 第一章で中の丸へ続く御廊下として使われた。中の丸には、将軍家光から遠ざけられ孤閨をかこつ御台所・孝子が住んでいて、彼女がらみのエピソードで使われる。
「覚悟の夜」では、孝子を訪ねるお万の方のくだりで使われ、侍女のお玉が大奥への憤懣をブチまけている。「許されざる生命」では、訪ねてきたお万の方を見送る孝子のくだりで使われた。我が身を憂える女たちの溜息まじりの語らいの最中、せきあげる悪心にお万の方懐妊が知れるシーンである。そのさまを春日局が本堂縁先から凝視しているという、怖い画もある。スペシャル編「桜散る」では、砂を噛むような日常を慰めてくれた男が、春日局のはからいで遠ざけられたと知る孝子のくだりで使われた。南小路時安を見送る楽しげな孝子を見た春日は、男を下がらせるほか孝子に不義の子ができぬよう月流しを投薬、事実を覚って激した孝子が払った袖が灯明を倒し、大奥は火に包まれるのであった。回廊のコーナー部分が、春日を呼びとめ責める孝子のシーンで使われ、弁天堂が映り込んでいる。扉に彫られた梅鉢御紋は、四万六千日の飾りで巧みに隠されている。
北大路欣也の名奉行 大岡越前では、四十七士に加われなかった悲劇の赤穂浪士・小山田庄左衛門がからむ一話において、あるじと共に殺された下僕の娘が仇討ちの意志を示す場に使われた。設定は法要の寺。


☆清凉寺ロケ使用例一覧

京都市右京区嵯峨釈迦堂藤ノ木町


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