時代劇ロケ地探訪
御土居


鞍馬口に残る御土居 御土居は太閤秀吉が築いた土塁で、防敵と水防を兼ねる。市街地をぐるりと取り巻き、洛中洛外を分けた。時が移り軍事的意義が薄れると次第に取り壊されてゆき、今は紫野あたりの北西部に名残を留めている。そのひとつ・北野天満宮の脇にある、天神川堤でもある一件が銭形平次の捕物の舞台となった。
左写真は鞍馬口に残る御土居

 御土居は土塁の外に堀を切ったものが基本で、川や沼といった地形も利用された。
北野さんの脇を流れる天神川は深い谷、護岸は石積み。
参道を脇へそれて細道を西へ入ると、御土居を跨ぎ天神川へ出る。ここに小橋が架かっていて、渡って西へ行くと細道があり衣笠小学校へ抜けている。
*境内からもお土居へ出られる。

天神川の橋 左・右岸から上流望/右・梅苑から下流望
境内へ通じる石段 この小橋、今は鉄製なうえ通じる道にびっしりと柵が張られているが、往時は欄干のない木橋で、もちろんフェンスは無かった。
大川橋蔵の銭形平次「女雛は知っていた」(1968/3/6放映)は、悪銭を市中に流そうとする賊の企みを阻止する話。捜査を進め核心に近付く銭形平次を一味が襲う場面に、この橋が使われた。もちろん親分は鋭く気配を察し、飛んできた短刀を鮮やかに避け橋を渡って逃げる男を銭で足止め。
右写真は橋から北野境内へ通じる石段
右岸側(西)に建つマンションの塀
川側のマンション塀 衣笠小へ抜ける道・東望
 橋を西へ渡った先にも石段があり、登るとマンションが建っている。現代建築に似つかわしくない塀が巡らされているが、この内側にはかつて萱葺の家があった。
銭形平次「小さな幸せ」(1967/12/20放映)は、疫病がはびこる情勢に大儲けを企んだ悪徳商人が特効薬を隠匿する話。この薬種問屋がブツを隠匿している寮が、天神川の橋を渡って西の建物(現在のマンション)に設定されている。中は映らず、橋から見上げた塀と萱葺き屋根で表現されている。ブツを運び出すところを摘発する平次親分のくだりでは、用心棒が上写真上段右の石段を荷を担いで降りてきて、橋周辺の狭いところで大立ち回りになる。また、この薬屋の丁稚が深く話に絡むが、病に苦しむ仲間の孤児のため薬をちょろまかそうとした彼が、盗みに入って平次に見つかる路地は上写真下段右の路地で、奥は天神川の谷へ下っている。丁稚が取り付いた塀や浪人が降りてきた石段は、当時のまま残っている。
天神川河床 橋上から下流望
 深い谷を刻む川だが河床は三面張りで、平らな川底をちゃらちゃらの浅い流れがゆく。そのさまはどうかすると下水に見えもする。「第三の男」でオーソン・ウェルズが走る下水にも少し似ている。
銭形平次「江戸の野良犬」(1967/10/18放映)では、本所割下水として使われた。死体検分の場面で、賊一味の男の死体が汀に突っ伏している。同じく銭形の「質札の娘」(1967/11/15放映)では、隠し子として迎えられた店から出された不良娘がゆく道で、下町の情景を描く。
ブロック塀

 お土居のある北野さん脇の左岸側には、橋の南北にブロック塀がある。谷地形に合わせ段々に設置されているそれが映り込んでしまっている例が、先に述べた「女雛は知っていた」や「小さな幸せ」に見られる。今のビデオ撮りのテカテカ映像だともろに質感が出るので話にならないが、フィルム撮りでモノクロなのでうまい具合に目立たず却ってアクセントになっている。最近放送されたニュープリント版をよく見るとブロック以外のなにものでもないが、放映当時に家庭にあった受像機ではさして問題なかったのだろう。

*参考 →ロケ地探訪「北野天満宮」

京都市上京区馬喰町


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