時代劇ロケ地探訪 瀬田

 琵琶湖から唯一流れ下る瀬田川はのちに宇治川、淀川と名を変え浪花の海に入る川。瀬田川は洗堰で堰かれていることもあり、流れ始めはほぼ静水域。たっぷりと水を湛えた川端の風情が、時代劇に良き水景を提供する。

 唐橋東詰に鎮まる瀬田橋竜宮は正式には「勢田橋龍宮秀郷社」、唐橋の鎮守で、竜王と藤原秀郷公(俵藤太)を祀る。瀬田川には竜神が棲むと古来言い伝えられ、祀られてきた。元々は唐橋自体が形代で、架け替えの際仮宮として建てられたやしろがいつしか本宮となり、現在に至る。秀郷公を合祀するのは、ムカデ退治の伝説に因る。唐橋に長々と横たわる大蛇をものともせず跨いだ勇者・俵藤太(平安期の鎮守府将軍・秀郷の俗称)の前に青衣の女人が現れ、竜神を悩ませる大百足を退治てくれるよう依頼する。藤太は三上山を七巻半もする大ムカデを討ち、という伝説は将門の乱平定の寓意ともいう。竜宮に近接してある雲住寺は秀郷公追善供養に建てられた寺で、橋守の寺でもある。竜宮には「橋守神社」の異称もある。


■ 瀬田橋竜宮

 竜宮はごく小さなやしろで、石造の明神鳥居をくぐると簡素な門があり、これもまた簡素な屋形を経てすぐ本殿に至る。木柵に囲われた内陣には祠が二基あり、これが竜王と秀郷公を祀る本体。やしろの周囲には石の玉垣がめぐらされ、境内には松の大木が斜めに生えている。
かつて玉垣の下は河原で、大川端や鎌倉河岸など江戸の水辺を描くのに使われた。ドラマでは玉垣が絶妙な具合で傾いでいる。
使用例は大川橋蔵の銭形平次が圧倒的に多い。

竜宮 鳥居 竜宮 入口の門
玉垣越しに境内の松 本殿前の屋形
瀬田川堤から 玉垣越しに境内望

 銭形平次「お由良の罪」は、玉の輿に乗ると決まった女が男関係を清算しようとして殺される話。三島ゆり子の毒婦が殺される堀端が、玉垣下の今は無き水辺。
「闇夜の目」は、殿様の菩提寺失火の責をとり浪人した老侍が、一家ぐるみで盗みをはたらき再建費用を作ろうとする話。事件を追う銭形の親分は、一味の一人が勤める船宿を突き止め事情聴取、その一幕が竜宮の境内。老侍とツナギをとるシーンでは玉垣際や川端も映り、船宿近くの情景を演出する。
「七夕の唄」では、怪しい奴を追うも見失った平次が里見浩太朗の船頭にものを聞く川端。その船頭が襲撃を受ける場に出くわすくだりでは、鳥居や境内が使われている。
「今日の月」では、仲介者の八卦見が殺し屋に金を渡す神社。殺し屋たちは玉垣を乗り越えて境内へ入ってゆく。金を貰うのは松の根方、この松は今も境内に生えている。殺し屋の一人が福本清三なのも見どころ。
徳川おんな絵巻「まぼろしの恋」は、酒肆の娘が記憶喪失の男を拾い、ほどなく恋に落ちるが男の正体は大藩の若様という話。その若様が記憶をなくす原因となった鎌倉河岸での襲撃が、玉垣下の水辺でダイナミックに撮られた。伊吹吾郎の大立ち回りで、幾人かは川に叩き込まれている。記憶を取り戻すきっかけは玉垣際で満開の真っ赤なツツジ。

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 鳥居をくぐって門に行くには小橋を渡る。下には小溝がある。
今はほんとうにただの溝だが、かつては堤が無かったのでそのまま瀬田川に通じており、ちょっとした入江の風情だった。

入口の橋から見た小溝 小溝の橋から玉垣越しに境内望

 銭形平次の第1話「おぼろ月夜の女」では、お品親分の捕物に手を貸す平次の下っ引・八五郎の姿がこの「溝」に見られる。上写真左、堤中ほどに見える白い手すりの位置に、簡単な木橋が架かっていた。八っつぁんはこの下をくぐっている。「夫婦ざんげ」では、平次の近所に住む大工の為さんが四ツの鐘を聞きつつ渡る帰り道がこの「橋」。

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 鳥居脇にある社務所も、かつては汀がすぐ前にあり、川端と建物の組み合わせはなかなかの風情だった。
往時を偲ぶよすがは、基壇の石積に僅かに残されている。

社務所 裏側

 「おぼろ月夜の女」のお品親分の捕物は、この社務所裏手からはじまる。
社務所の北端から賊の一味が現れ次いでお品が登場、社務所裏手から溝、玉垣下や川辺をたっぷり使って撮られている。

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 いま船着きになっている、下写真上段左の黄色の線で囲った部分が改修された個所。
玉垣と川の間に土手が築かれ、やしろと川は隔てられた。
唐橋や対岸から望遠で見ると、土手の向こうに竜宮の玉垣が顔を覗かせ、僅かに往時を偲ぶことができる。

黄色の囲いが改変個所 堤道 南望
唐橋から竜宮望 中州から竜宮望

 数多の流入河川を持つ琵琶湖の唯一の排水河川である瀬田川は、近年でも洗堰下の峡谷で水難事故が起きるほど荒々しい顔を見せることがある。堤が作られる以前の竜宮際の川端にはその瀬田の流れが染み土が緩み、玉垣を傾かせていたものと推測される。


■ 雲住寺

 橋守寺である雲住寺には、「瀬田の夕照」を眺めるための一室があり、俵藤太に退治られたムカデの供養塔もある。門が使われるほか、塀が竜宮や川端と複合して用いられる。

雲住寺 門 雲住寺 塀
雲住寺塀 北望 堤から見た雲住寺と社務所

 銭形平次「首なし佛」で出てくる雲住寺は、失踪し首なし死体で見つかったお店者の葬儀が営まれる寺。怪しの浪人が首の入った包みを下げて通るのを訝しげに見る親分のシーンは門前、竜宮の鳥居が映り込んでいる。「稲妻組御用」では、八五郎や三輪の万七が俺様が銭形を仕込んでやったと見栄を張る逸話が出てきて、へっぴり腰の情けない昔の平次という嘘っぱちを橋蔵が実際に演じるコミカルな場面がある。このシーンは社務所脇から雲住寺の塀を見るアングルで撮られた。堤ができたため現在同じ眺望は得にくいが、上写真下段右の、車のあたりが現場である。


■ 唐橋

 唐橋は古来軍事交通の要衝で、これを制する者が覇者となった。日本三名橋の一つであり、近江八景「瀬田の夕照」としても著名な名勝である。
今の位置になったのは信長の架橋以来、現在も2号大津能登川長浜線が通じる幹線で車両の通行が頻繁。

竜宮脇から見た唐橋 唐橋 東詰下手から
唐橋 西詰下手から 唐橋 中州上手から

 竜宮で撮影が行われた際、ちらっと遠景に唐橋が映り込む例もある。
銭形平次「お由良の罪」では、毒婦・お由良が殺された堀端に立ち事件を述懐するラストシーン、遠景の橋が唐橋。ぼやけているが、橋脚の形と擬宝珠でそれと判断できる。上写真上段左がだいたい同じアングル。


参考文献 勢田橋龍宮秀郷社発行「瀬田橋竜宮縁起」

→ 瀬田 ロケ使用例一覧


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