時代劇ロケ地探訪 堀川

 堀川は、平安京造営に際して掘られた溝渠。かつては舟運に用いられたり、友禅流しも行われた。川筋の地下水が茶の湯の文化を生み出したこともある。一条に架けられた戻橋はさまざなな伝説で知られている。

 現在の堀川は三面張りの水路で、流水はほぼ見られない。堀川通が幹線として整備された折り暗渠化された部分も多く、開渠も僅かな区間である。水は1960年代初頭に断たれ現在に至るが、いっときゴロ石の涸れ河原を晒していた期間がある。ちょうど市電が廃止された頃だったろうか。この石河原を荒地に見立てて撮られた作品が、必殺シリーズに散見される。

堀川 一条付近の河床 2007年1月撮影

 暗闇仕留人第一話「集まりて候」では、裏稼業の最初のツナギの場として使われた。主水が役人であることから警戒し反発する糸井貢が、仕事には参加しないと言い去ってゆく、その後ろ姿が長回しで撮られている。

 新必殺仕置人では、巳代松の竹鉄砲発射実験の場、必殺仕事人では、調べのすえ仕事にゴーサインが出されるツナギの場として使われた。いずれも、しらじらと乾いた河床が心象をよく表し、他では得られない独特の画面を作り出している。

 極めつけは、必殺必中仕事屋稼業最終話「どたんば勝負」での使用例。
元締の嶋屋が火盗改に目をつけられ窮地に追い込まれる話で、元締のおせいの実子だった政吉が捕われの身となり「吐く」のを拒んで自ら死を選んだあと、悪党を仕置し終えたおせいが自刃しようとするのを半兵衛は阻み言い放つ

「俺たちは無様に生き残ったんだ」
「明日の無い俺たちは無様に生き続けるしかない」
「無様に生き続けましょうよ」

このあと捕り方を引きつけて逃げる半兵衛、隠れ潜んでいた場所から立ち上がる陽炎ゆらめく情景が、堀川河床。衣をはねあげて立ち上がる半兵衛、ここに、置いていかれてしまった女房のお春が坊主そばの座敷で口ずさむ南部牛追い唄が被る「西も東も金の山、コラサンサエー」。吹きすさぶ風の音が入り歩み出す半兵衛、今度は緒形拳の声で「田舎なれどもサー、南部の国はよォー」、このとき彼の背後にはかなりはっきり橋が映り込む。河床のゴロ石は他の作品と同様だが、草が旺盛に繁っている。

 必殺に使われた情景は遠い昔のもので、かろうじて現在の殺伐たる三面張りコンクリート河床に名残を嗅ぐことはできるが、2007年現在親水整備計画があり、様変わりの局面を迎えている。

★追記/今の堀川は整備され、遊歩道付きの親水空間となっている。参考→淀川水系・堀川

*堀川ロケ使用例一覧→「時代劇ロケ地資料/その他洛中」

京都市上京区


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