時代劇ロケ地探訪 平城宮跡


 佐紀の野に残る奈良時代の宮跡は、ながらく大極殿基壇があるくらいのだだっ広い草地であったが、1998年に朱雀門と東院庭園が復原され、平城遷都1300年祭が開催される2010年には、大極殿が公開される運びとなった。

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ヤリ鉋・なら奈良館展示 朱雀門は、材に国産の檜を使い、出土品を参考にして瓦を焼き、柱はヤリ鉋(右写真)で仕上げてある見事なもので、竹中工務店の施工になる。
その優美な姿は、二条大路からも近鉄の車窓からもよく目立つ。
*鉋の写真は「なら奈良館」展示物

平城宮跡朱雀門 南から

 この朱雀門は、映画陰陽師において平安京朱雀門として使われた。
陰陽師としての腕前を試され鮮やかに切り抜けた安倍晴明が、源博雅に「呪」とは何かを説きつつ都大路をゆくシーンで、彼らの背後に丹の色も鮮やかな朱雀門が誇らしげに映りこんでいる。広くとられた南側の空間も、物売りなどの民衆を配し、絶大な効果を上げている。劇中、両翼に見える楼閣や築地は合成。
テレビドラマの陰陽師☆安倍晴明では、晴明の友の貴公子が一人護る朱雀門として登場。
NHKほかの一連の古代史ドラマでは、舞台が奈良時代の作品において、現地設定で使われる。

近鉄奈良線車窓から見た朱雀門

 陰陽師では平安京に擬えて使われたが、ここそのものの設定で、ここでなければならない「絵」が、不可思議なタッチの現代劇鹿男あをによしのクライマックスで出てくる。近鉄奈良線車内から「鹿」が見える絵のほか、自棄になったリチャードが走る電車にサンカクを投擲するくだりで登場、夜の朱雀門がたっぷり使われている。また、北から近鉄越しに見る朱雀門を通学路に合成した図が、日常風景になっていた。

第一次大極殿跡から見た朱雀門

 上写真は、近鉄奈良線の北から見た図で、遷都祭の整備以前に撮ったもの。門が古びて色褪せたなら、さぞススキのよく似合う寂びた風情になるだろう。

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 平城京の、東へ張り出した区画は、皇太子の宮が置かれたので東院という。
丹念な発掘調査の結果をもとに、現地に庭園が復原されている。のちの浄土庭園を思わせる州浜と、涼しげな釣殿が美しい。

東院庭園  隅楼前から池泉越しに中央建物を望む
東院庭園  反橋上から中央建物と池泉を望む

 ロケに使われる際の設定は、やはり宮殿が多い。
大仏開眼では、帰朝間もない吉備真備が、阿部内親王と初めて会う宮で、設定は平城京の東院である。反橋と平橋を渡り、真備が光明皇后のもとへやって来る。このシーンに先立って、大伴家持の朗詠などあり、中央建物では大后のサロンが展開されていた。

東院庭園
反橋と北東建物
東院庭園
中央建物内部

 聖徳太子では、飛鳥の蘇我馬子屋敷として出てきて、中央建物で大宴会が繰り広げられ、テラスや池泉がよい絵を提供していた。
浪花の華 緒方洪庵事件帳では、四天王寺境内という設定で使われ、使者としてやって来た関白の側室が弓月王に迎えられるシーンが中央建物。見物衆が反橋の上にひしめき、主人公の章(後の緒方洪庵)もその中にいてはじき出され、北東建物の脇にいた、兄・弓月王を睨む左近に気付くという運び(注/ドラマの設定は「龍天王寺」、原作設定は「六時堂」)

建部門 外側 建部門 内側

 東院の区画は、東面大垣と南面大垣で囲われていて、南には建部門が作られている。

 建部門は、大化改新で山背皇子の住む斑鳩宮として使われ、戦を止めようとしてやって来た中臣鎌足が、親友・蘇我入鹿の裏切りを知る、斑鳩宮炎上のシークエンスで出てくる。夜間撮影で、門前に篝火を演出してあった。
天平を駆けぬけた男と女たちでは、鑑真和上危篤の知らせを聞いた弟子が駆け入る、平城京の門。

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 2010年には、壮麗な第一次大極殿が復原をみた。巨城や大刹とはまた違った迫力で、見る者を圧倒する。

第一次大極殿

 この大極殿は、平城遷都1300年祭でのお披露目を前に大仏開眼で使われ、聖武天皇が催す諸行事のほか、孝謙天皇の即位式などで登場する。
広嗣の乱が勃発し聖武天皇が平城京を離れるシーンでは、これから乗り込む輿を手前に配し、朱雀門に立つ帝の背後に大極殿の甍が霞む、絶妙のアングルが見られる。

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奈良県奈良市佐紀町

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