時代劇ロケ地探訪  篠八幡宮 ( 篠村八幡宮 )


 国道9号線の王子から分岐のある旧山陰道に面して鳥居が建つ口丹波の古社で、国ざかいにあって京師の厄除けとなるお宮さん。
篠は足利氏の領地で、元弘3(1333)、このやしろに戦勝祈願した尊氏は挙兵し、老ノ坂を越えて京へ殺到した軍勢は六波羅に北条仲時を討ち果たすに至る。これは「建武の中興」の魁となる事件であった。社は戦国期に焼けたが「矢塚」や「旗立て楊」が保存され、歴史の息吹を今に伝える。鄙びたやしろであるが、境内外のそちこちに掲げられた説明板を拝見すると、当時の生々しい情景が身の裡に湧き上がってくる。この史蹟で、硬派な時代劇の重要な転換点となる一幕が撮られた。

乾疫神社 灯籠越しに裏参道方面を望む
本殿脇から南望 水場の屋形越しに表参道方向を望む

 緊張に満ちた逃避行を描く斬り抜けるは、助平藩主が臣下の妻女を狙ったことから起こる悲劇。上意によりやむなく親友を斬った楢井俊平は、その直後藩主の姦計を知る。このあと、友の妻と幼な子を連れた俊平は幕府に殿の非道を訴えるべく江戸への旅に出る。その旅程は追っ手との壮絶なバトルの連続、しかし結果は全て空しくやっと情を通じ合った女も儚く散る。その直後、追っ手にして親友の父、俊平の剣の師でもある嘉兵衛に真実を告げる藤枝宿のお宮さんがここ。弥吉に呼び出されてやってきた嘉兵衛が俊平の血を吐くような告白を聞くシーンは、摂社の乾疫(いぬいやく)神社前で撮られた。嘉兵衛老人は俄かには信じず黙って去るが、帰った宿では藩主に妻を差し出すよう命じられた侍が腹を切っていて、俊平の話が真実と覚った老爺は怒りに燃え美作へひた走るのだった(使用作は斬り抜ける・俊平ひとり旅に改題後第一作の「城中乱入」)
 乾疫神社はここに八幡神が勧請される以前からあったやしろ。疫神社として今宮や石清水と並び日本でも最古クラス、御霊信仰に基づきスサノヲを祀る。このお宮さんまわりはドラマが撮られた当時と変わらないが、火野正平が佐藤慶を連れてくるシーン(水場脇)などは同じアングルを得にくくなっている。

亀岡市篠町篠


・ロケ地探訪目次 ・ロケ地探訪テキスト目次 ・ロケ地資料 ・時代劇拝見日記
・時代劇の風景トップ ・サイトトップ