時代劇の風景 ロケ地探訪
![]()
− 民家セット −
![]() |
![]() |
| セットと小川・夏 | セットと小川・冬 |
| 川の上手には民家のセットがある。最も印象深い使用例は剣客商売[藤田版]の小兵衛隠宅としてである。現在あるそれは、このドラマのために作られたという。 池波正太郎の原作には秋山小兵衛の家は橋場から大川を渡った寺島村にあると記述されている。 寺島村の田圃道の向こうに堤が横たわり、堤に植えられた桃・桜・柳が美しく、木母寺・梅若塚・白髭明神等の名所旧跡が点在するまことに結構な地であることが説かれる。隠宅は堤道を北へ辿り大川・荒川・綾瀬川の三川が合する鐘ヶ淵を望む田地の中に松林を背に建ち、建物については藁屋根の百姓家を改築したものとされ規模は三間ほどの小さなものであるという設定がなされている。 上越の山々の水を集める利根川は昔は今のように一本の大河ではなく、下流部に多くの枝分かれした派流を持つ川だった。 時の移り変わりとともに利根川下流部は付け替えなどにより姿を変えてゆく。江戸期におけるその最下流部の水景を生き生きとしたイメージとして見せてくれる剣客商売における擬似空間を興味深いものと思う。 テレビで見る秋山小兵衛隠宅前には小川が流れている。これはセットではなくほんものの川の源流部である。原作の設定では大川から水を引き込んだ入り江とされるが、家の前の小川と近江八幡の水郷のシーンをうまく繋げてあるので違和感なく大川ばたの水景と納得できる絵となっている。 この見立ての妙の底流に、制作者がそこまで意図したかどうかはわからないが、日本の原風景としての里の川の姿があるように思う。このような田舎家と川と林の取り合わせは、わたしたちの記憶の底に沈んだモデルなのではないか。山と里が一続きになった、人の生活と二次自然が分かち難い連続性を持つ、かつてわたしたちが持っていたビオトープがそれである。 池波作品に見る自然の情景にはそうした要素が多々あり、これを映像化しようとするとき脳底に刻まれた概念が蘇りこの作の如くの風景を現出させたもののように思える。 |
![]() |
![]() |
| 井戸も薪もちゃんとある | 小川の対岸から |
![]() |
![]() |
| 樋アップ | 低い軒 |
|
情感たっぷりな家もやはりセットで、横から見ると映画村の半分の日本橋などと同様装飾は前面のみとなっている(下写真参照)。 |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
| たまたまトタンが剥がされていた日、内部を撮影 小兵衛さんとおはるの息遣いが聞こえるようだった |
|
| 夏の一日、人を案内して「酵素」を訪問した際、作業の方が一人来てトタンを剥がしておられた。これ幸いと内部を撮影させて頂き、お話を伺うと十日後に撮影が行われるのでその準備とのことであった。その後携帯電話で業務連絡をなさっていたが、こんな山中でも携帯が通じることに妙に感心させられた。 近頃は時代劇撮影に耐え得る「素材」が各地でワヤになっており、携帯が使えるほどの立地にある酵素の重要度は増しているものと察せられる。 |
![]() |
![]() |
| セット前・畑 | セット屋根側面 |
| 剣客商売以外の作品でもこのセットはよく登場する。古い作品ではこのセットでないが、建っている位置はたいてい小川の上手である。 鬼麿斬人剣で鬼麿が三国湊郊外の小屋に籠り一心不乱に剣を鍛えるのはここである。鬼平犯科帳9「一寸の虫」で仁三郎が斬りこむ鹿谷の伴助の盗人宿にも使われた。セット前に置かれた作業台の向こうには川を隠すように小柴垣が巡らされている。壬生義士伝で吉村貫一郎脱藩後妻のしづが身を寄せる雫石の親戚の家としても使われた。吉村は遂に生きて故郷に帰り着くことがなかったが、エンディングクレジットの画は帰着した吉村が家族の出迎えを受け幼子を抱きあやす姿を一周ラウンドで撮っていて視聴者サービスとなっている。盤嶽の一生でも茶屋や農家として使われている。三匹が斬る(2002)最終話では当麻一族のくの一を匿う小屋として使われ、陰陽師 安倍晴明では老婆から悪霊を祓う晴明のシーンで用いられた。 |
![]() |
![]() |
| セット屋根・夏 | セット屋根・冬 |
|
|
| ・酵素 表紙 |
|
|