時代劇ロケ地探訪  善峯寺 よしみねでら


釈迦堂から洛中を遠望 西国三十三ヶ所・二十番札所として賑わう善峯寺は、恵心僧都の高弟が開基した古刹で、五代将軍・綱吉の生母桂昌院の篤い帰依を受けたことでも知られる。桂昌院のゆかりはそこここに見られるが、ここの名物である日本一の松と言われる「遊龍松」もお手植えのものと伝わっている。境内からは洛中が一望でき、交通の便の悪さをおしてここに登った甲斐ある絶景である(左写真は釈迦堂前からの眺望。遠景中央は京都タワー)

観音堂 山門
阿弥陀堂下の坂 経堂 ( えま堂 )

 本堂である観音堂は、札所らしく巡礼の姿も見られいかにも霊場らしい。
ここは、ニュー・三匹が斬る!「四国八十八ヶ所、命を賭けた夫婦旅」で結願の寺・大窪寺として使われた。暴君から逃れて遍路道をゆく若い恋人たちを救い得なかった三匹は、彼らの遺品を持って大窪寺に代参する。このくだりで、三人は山門をバックに石段を登り、観音堂へお参りしたあと成敗に赴く。
暴れん坊将軍 IV「女大学!亭主を男にする法」は、仇討ちに倦み疲れた夫婦を新さんが助ける話で、夫と別居している妻が身を寄せている浅間寺としてここが使われた。妻女を説得する徳田新之助のくだりで、境内を逍遥しながらのシーンなので、各所がふんだんに映っている。わけても阿弥陀堂下坂の石畳や経堂の屋根などは特徴ある姿がよく映えていた。
暴れん坊将軍 VIIでは、山門や多宝塔が市中の情景に使われた。「吉宗、誰が為に泣く」では、町娘の下駄の鼻緒をすげ替えてやる徳田新之助の姿が観音堂下の坂に見られる。このあと娘は不幸に落ち儚く散るが、彼女を思って歩く新さんがラストにもう一度坂をゆく。

京都市西京区大原野小塩町


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