時代劇の風景  ロケ地探訪

二尊院

総門
 京都・嵯峨野の小倉山に抱かれた古寺は釈迦と阿弥陀を祀ることから二尊院の名を持つ天台宗の寺で、正しくは小倉山二尊教院華台寺という。
平安初期、嵯峨帝が慈覚大師を開祖として建てられたのがはじまりで、荒れていたのを法然上人により再興された。
 山腹にある墓地には高瀬川開削のデベロッパー・角倉了以の墓や儒者・伊藤仁斎、剣戟王・阪妻の墓もある。また、藤原定家の「時雨亭」は小倉山中腹にあったと伝わる。
紅葉の馬場  下から 紅葉の馬場  上から
 広い参道は「紅葉の馬場」と呼ばれ、両脇にあまたの楓の木を従え紅葉期には大勢の見物客で賑わう。
時代劇に用いられるのもこの参道が多い。例としては「服部半蔵 影の軍団」第一シリーズ「京の春 お歯黒の罠」において江戸の服部家菩提寺に参る僧形の半蔵と甲賀衆が行き会い緊張するというシーンで使われていた。このシリーズでは頻繁に二尊院が使われている。石段を登りきったところに見える塀もよく使われる。
黒門横の塀 本堂
黒門 弁財天堂
 服部半蔵シリーズで使われるときは江戸市中という設定がほとんどだが、第一シリーズ「地獄を招く妖僧」は幼い将軍様がさらわれて紀州へ拉致されてしまうという展開を見せるので「旅物」となっている。奪還のための人材をスカウトに服部家の故郷・伊賀の里を訪ねて山寺に集結、という場面で本堂脇を高台に上がったところにある湛空上人廟と、そこへの石段が使われている。ステンレスの手すりは竹で覆ってうまく隠されていた。
 また、罪人として墓を鎖で戒められた服部家代々の墓の場面では下右の写真と良く似た石の柵つきの立派なものが用いられていた。おそらく二尊院にあまたある古い墓のどれかだと思われるが数が多すぎて特定には至らなかった。これに限らず、墓地使用例はたいてい特定が難しい。
湛空上人廟への石段 境内の古い墓

新緑の「紅葉の馬場」

 雲霧仁左衛門(1996山崎努版)最終回「最後の大仕事」で事が全て終わった三年後、七化けのお千代は雲霧のおかしらと離れておかしらの兄・蔵之助、小頭の木鼠の吉五郎、可愛がっていた因果小僧六之助たち三人の墓を守り、墓のある寺の門前で仏花を売って暮らしているのだが、その店は紅葉の馬場向かって左手の石段脇に開かれている。いつか雲霧のおかしらが訪ねてくるのを穏やかに微笑みながら待つ千代の心情が活写されている。
その他の配下のもとをそ知らぬ顔をしてそっと見て歩くおかしらの姿が描写されているが、千代のもとを訪れる姿は描かれずに終わる。

雪の総門

京都市右京区嵯峨二尊院門前長神町
二尊院ロケ使用例

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