時代劇ロケ地探訪 豊国廟

女坂 東山三十六峰のひとつ・阿弥陀ヶ峰の山腹に、急峻な直登の石段がある。登りきったところに、一代の栄華を誇った太閤秀吉の廟所が鎮まる。
墓所の麓にあった豊国大明神を祀る壮麗な社殿は造営後早々に次代の主・家康によって毀たれ、奥都城も永く寂れていたが、そのはじまりも秀吉の死が秘されたためごくひっそりしたものだったという。
ロケには、高みへ至る石段がよく使われる。これは男坂と呼ばれ、左写真の京女前から続く緩やかな坂は女坂と称される。

鳥居と石段 鳥居・見返り

太閤坦 女坂を過ぎると短い石段があり、登りきると大きな鳥居。鳥居脇はちょっとした石垣になっていて、鳥居に続く石畳の脇には水場の屋形がある。
鳥居周辺を使って撮られた印象的な場面が、市川雷蔵の映画・眠狂四郎 勝負に見られる。開始早々の正月の愛宕神社境内のシーン、「尻押し仕ろう」と声を上げ参詣者の登坂介助で日銭を稼ぐ健気な少年を介し、実は勘定奉行な老武士と知り合う一幕である。狂四郎と加藤嘉演じる老武士がいる茶店が、鳥居をくぐってすぐの太閤坦にセットされている。後年撮られた田村正和のテレビシリーズでも、雷蔵の映画を踏襲するかたちでロケが行われた。
大川橋蔵の銭形平次でも、太閤坦に「両国の化物屋敷」があしらわれたり、鳥居下の石段で物騒な事件が起こったりと、江戸市中の情景として出てくる。

参道と拝殿 拝殿 石段から見下ろし

 鳥居をくぐると明るく開けた太閤坦となり、拝殿に向けて石畳が敷かれている。
ここは、テレビ東京の正月時代劇花の生涯 井伊大老と桜田門の、江戸城内の紅葉山神君廟所に拝礼する将軍・家定(山本学)のくだりで登場する。神域の外で待つ御台所・篤姫(壇ふみ)のシーンが拝殿、参拝中に松平慶永の強訴を受けた家定は怯え惑乱し弱り果てて下りてきて、石畳脇に寝かされる。

参道石段下部・見上げ
参道石段下部・見下ろし

 拝殿を過ぎると、いよいよ長い石段がはじまる。途中踊り場はあるものの、ひたすら登るのみ。ステップは四角い切石。豊国廟ロケの多くは、拝殿から神門までの、「石段下部」で撮られている。
古くはアラカンのサイレント時代の鞍馬天狗で、見廻組の佐々木唯三郎にたばかられ暁国庵へ呼び出される天狗のおじちゃんが登る石段がここ。
東映の娯楽作・ひばりの森の石松では、こんぴら代参の石松で金刀比羅宮として登場。
カツシンの新・座頭市「蛍」では、盲目の娘の治療代を稼ぐため成田さんで荷運びをする市っぁんの姿がある。同じく勝新太郎の御用牙では、トンデモ同心の板見半蔵が、チンピラ役の石橋蓮司をボッコボコに殴り倒している。
テレビシリーズのレギュラーのロケ地として使われたこともある。あおい輝彦主演の青春ドラマ仕立てのお祭り銀次捕物帳では、彼と愉快な仲間たちが繰り広げる青春模様の舞台となった。彼らは何かというと太鼓を叩いて精神を高揚させたり、意思の疎通をはかったりするのだが、ラストシーンでは、晴れて父親の十手を継ぐことが決まった門出の祝いに、メンバーがどっとこの石段に繰り出して賑やかに太鼓を叩いていた。彼らが行き交う町は神田界隈なので、石段の設定は神田明神の男坂かも知れない。

石段・部分アップ

神門 石段の中ほどには神門があり、ここから参道の幅は少し狭まる。
見上げた光の先に、太閤の墓所がある。
大河ドラマ・秀吉のオープニングでは、幼い日吉丸が神門に駆け込み、廟所への石段を駆け上がってゆく。

参道石段上部・見上げ

神門見下ろし 雷蔵の眠狂四郎 円月斬りでは、石段上部での殺陣が撮られた。荒くれどもが多数現われての大立ち回りで、人数は上から雪崩落ちてくる、その背後に抜けるような青空が見えている。狂四郎は段半ばで立ち止まり、来し方行く末を眺めやる。

御廟

 長い長い石段を登りきると、大きな五輪塔が玉垣に囲われて立つ。これは明治の遠忌の際建てられたもので、太閤の亡骸はそのときここに移葬されたと謂う。
大奥ものの系譜に連なる大坂城の女では、淀殿に屈しきれず大坂城を去ることを亡き太閤に詫びにゆく北政所のシーンが、御廟と石段を使って撮られた。豊臣恩顧の大名たちが墓参にやって来る場面も、別の回で出てくる。

桐院席

 鳥居下の参道北側に、瀟洒な門がある。調べてもどこの施設か不明だったし表札もかかっていないので、筆者周辺では昭文社の地図に載っていた名前で呼び習わしている。
ここは、大川橋蔵の銭形平次がまだモノクロの頃に登場する。「帰らぬ鳩」では、仲間の釈放を求める賊一味にさらわれてしまった平次の恋女房・お静が連れ込まれる屋敷。「炎を呼ぶ女」では、商家の寮として出てくる。

京都市東山区阿弥陀ヶ峯町

→ 豊国廟ロケ使用例


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