時代劇ロケ地探訪  相国寺

塔頭


玉龍院 慈雲院 慈照院 養源院 長得院 瑞春院
 相国寺には十を越す塔頭があり、そのひとつひとつが結構な規模を有する。敷地内には石庭を持つものが多く、趣味の高い水石が配されていることが多い。由来は宮家ゆかりのものから文人墨客に縁の深いものまでさまざまである。瑞春院などは水上勉の「雁の寺」のモデルとして知られるほか、最近は水琴窟が人気を集めている。
塔頭で時代劇によく使われるのは大光明寺と林光院で、禅寺のいかめしい造りが武家屋敷に擬えて使われる。
大光明寺 門 大光明寺 玄関先
大光明寺 石庭へのくぐり戸 大光明寺 石庭
大光明寺 石庭と方丈 大光明寺南塀 門の中は石庭
 大光明寺は後伏見帝皇后ゆかりの寺で、寺名は皇后の法名に因む。方丈の西に位置し、相国寺塔頭群のなかでも規模が大きい。
時代劇には門から内部、塀まで頻繁に使用されるスポットである。
使用例を見ると、各藩の江戸屋敷、旗本屋敷、大岡忠相邸、千坂兵部邸、柳沢吉保邸、など大身の武士の屋敷として使われることが多い。門が使われるだけのことが多いが、玄関先を使ったりする例もある。なかには閑雅な石庭の上でラス立ちが行われるなどという無茶もある。
 各所を使った例として暴れん坊将軍3「め組の半次郎の天国と地獄」を見てみる。まず、設定は旗本の名家・須坂源之丞屋敷である。あとを継いだばかりの殿様は無役で、幕府に不満を抱いている。妻があり、これは新将軍吉宗と旗本古参の融和を狙っての縁組で紀州藩家老の姫が迎えられている。夫婦仲はしっくりいっておらず、殿様は愚連隊じみた旗本たちと付き合い、妻は役者遊びに明け暮れるという日常。ここに陰謀の手が忍び寄り、妻の不倫を仕立て上げ縁組の世話をした側用人・田之倉と不倫相手の男・め組の半次郎の後ろ盾の大岡忠相を失脚させようという企みが進行する。
この際使用されるのはまず門、旗本愚連隊が源之丞の妻女の話をしながら歩く塀際に北塀、ワルの手先の妻の侍女が旗本愚連隊とこそこそツナギを取るのを見る妻女のシーンでは縁先から石庭に下りた妻女が中仕切りの戸をくぐって南塀の通用門から出てゆく姿が撮られている。
林光院 門 林光院 庭と建物
 林光院は紀貫之邸跡に建てられた塔頭で、村上天皇の鶯宿梅の故事を秘める。建物は蒲生の大名屋敷を移築したもので、ゆえに役所や武家屋敷としての使用が多い。
 なかでも印象的なのは源九郎旅日記 葵の暴れん坊において麻布材木町のお控屋敷として設定されたことで、使用は最終話一回きりだが劇中何度もお控様こと十二代将軍家慶の弟・松平源九郎のラス立ち決め台詞「江戸は麻布の材木町、お控屋敷の松平源九郎、こいつは俺のほんの名札代わりよ」「なら仕方ねぇ、てめぇらぁ一人残さず叩ぁーっ斬る!」があるので、最終話でいよいよ登場したお控屋敷が強く印象付けられるのである。
また、凶悪にキレた御数奇屋坊主が無体を働きまくる新必殺仕舞人「南部よしゃれは鬼の道」では南部領・金ヶ崎陣屋として使われ罪も無い父子が庭の水石の前で斬られたりしている。
他では暴れん坊将軍において目付役邸や備中松山藩邸に、喧嘩屋右近において小豆沢藩邸や作事奉行邸に、八丁堀捕物ばなしにおいて石川播磨守邸などとして使われた。
大通院 門 大通院 西塀
 大通院は相国寺の専門道場として位置づけられており、一般に向けての座禅会なども催されるところである。院内からは荘厳な読経の声が聞こえてくる。
大鐘楼の東にあり、鐘楼が使用される際背景に門が映りこんでいることがよくある。
 必殺仕事人「外し技釣り鐘からくり割り」において富籤の不正を糺そうとしていた僧侶がハメられ女犯の罪を着せられ消されるが、姿を消した相手とされる茶店の娘を追ううち秀が見つけたのは若衆姿で大通院から出てくるその女だった。

相国寺表紙
相国寺ロケ使用例一覧  ・〜1989年  ・1990年〜

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