時代劇の風景  ロケ地探訪

沢ノ池

北部堤から 西岸

 沢ノ池は観光地として夙に有名な高雄・槇尾・栂尾の「三尾」を流れる名勝・清滝川に注ぐ菩提川の上流を堰き止めて作られた溜池である。ここへは中川の里から北山杉植林帯の菩提道(林道)をゆく。
途中ダートとなり、両から生い茂るブッシュを掻き分けると、沢ノ池は標高370mの山上にぽっかりと水面を広げている。
小雨まじりのこの朝、釣竿を振る二、三の人がいるのみでハイカーもキャンパーもおらず、水面は静かに山を映しこんでいた。

 池は北側に堰堤を持ち南が源頭部となる。南北に細長く、両の汀は砂地となる。水位の上下により岸辺の姿は変化するものと思われるが、この汀の形の特徴は岬の如くの砂州である。ダム湖に特有の形と言える。時代劇に使われるのはこの突き出た砂州が多い。
背後の山は植林杉の山で、汀には松その他の雑木が生えている。

東岸 東岸の砂州
東岸砂州上から源頭部を見る 東岸砂州に人を配置

 神秘的な色のこの池が印象的に使われた例としては京極夏彦「怪」の「七人みさき」が挙げられるだろう。物語の最終局面、狂乱の殿様・北林弾正の死を見た家老・樫村兵衛が放心してよろけながら歩くのがこの池の汀(東岸砂州付近)である。ここで抜刀している御燈の小右衛門と出会い、樫村は反射的に脇差で小右衛門に突きかかるが、小右衛門は無抵抗でその刃を腹に受けるのだった。そうしておいて身を離しぎわ小右衛門は樫村を斬り下げる。樫村の死体は汀に伏せ、小右衛門は池の中に倒れこむ。これに水中から七人みさきの白い手が幾つも伸びてきて小右衛門を引きずりこむのであった。水面は何事も無かったかのように静まる。
まことに幻想的なこのシーンは、撮影日誌によると曇天の小雨模様の日に撮られたという。筆者が訪ねた折もまさしく同じような天気で、一度は車に退避を余儀なくされた。しかし流れる白い水気、鮮やかさを増す木々の緑がなかなか良い風情を醸し出していた。

 他には、手元に資料が無いが剣客商売[藤田・渡部版]の「暗殺」で行きずりの女に命をかけた侍の墓に、これまた義理も無い借金のため身を売るその女が参るシーンで使われている。場所はこれも東岸に突き出した砂州である。男の卒塔婆は汀に立っている。女は男の残した切餅と紙風船を卒塔婆の前に置き立ち去る。剣客商売では他にも二三の使用例があり、釣りに来た小兵衛がぼろぼろの仇持ちの老武士と巡り合う話でも使われていた。いずれも設定は明確でないが大川端と思われる。また、オープニングで雪の中托鉢僧と行き合う秋山小兵衛のくだりはここと思われる。

 TXの長尺時代劇豊臣秀吉 天下を獲る!では幼少時の日吉丸の身辺を描くシーンに何度も使われている。隆慶一郎原作の鬼麿斬人剣では加賀・野木村で行われる刀試しの場として用いられた。痛快!三匹のご隠居「一升飯を食う女」では殺された作事方の父の仇を討ちに多可が赴く水辺として使われた。また、斬り抜ける「男は待っていた」でラストの斬り合いに使われているのは池の源頭部と思われる。水は少なく、池底が見えている。

池堤東側のダート 木の間から池を見る
 池の東堤上にはダートの道が通じている。酵素や谷山林道と同じような景色である。
 続・三匹が斬る!「母恋のお世継様と修羅の旅」では死んだ女郎の子で実は沼津立石藩の世継・初太郎をそれと知らず送ってゆく千石、のシーンで使われた。一旦城に上がった初太郎を取り戻して世話をしていた女に渡してやるシーンには沢ノ池東岸が用いられた。
雨を受けた木々からは水蒸気が立ち昇ってゆく。水の循環を目の当たりにする感動的な風景である。
水気立ち昇る山
京都市右京区鳴滝三本松

・ロケ地探訪目次 ・ロケ地探訪テキスト目次 ・ロケ地資料 ・時代劇拝見日記
・時代劇の風景トップ ・サイトトップ