時代劇の風景  ロケ地探訪

保津峡

下六丁峠から 桂川は亀岡盆地を貫いたのち山城の野へ出るまでの間、山中に谷を刻む。嵐山に至るこの約16kmを、保津峡と呼ぶ。
 慶長年間に角倉了以が幕府に願い出て開削した経緯を持つ。舟運が衰微したのちは観光船下りのルートとして賑わう。シーズンともなれば、棕櫚で編んだ縄から発せられる特有の櫓の音が忙しそうに響いている。
また、近年旧山陰本線の線路を利用したトロッコ列車が走り人気を集めている。
 保津峡が時代劇に使われるのは、ふつう清滝川合流の「落合」付近である。中にはまんま保津峡下りで船を使う例もある。
落合では、崖の上を使うケースと、崖下の清滝川河口部分を使うケースがある。設定は街道筋としてのものが目立つ。
落合崖上 落合崖下

 保津峡船下りをドラマに取り入れた例は斬り抜ける「女が愛にゆれるとき」で、御留船に乗り込み追っ手から逃れようとした「不義者」俊平たちは途中で船頭を失い俊平も負傷、という危機の中急流を下ってゆく。川にはスモークが焚かれ危機を演出している。盤嶽の一生「みちづれ」では巾着切りから救った女と同船する小室川の渡しのシーンで使われた。また、篠田正浩監督の「鑓の権三」ではおさゐと権三の道行きのワンシーンに用いられた。

☆ 保津峡ロケ使用例一覧 ・1979年以前 ・1980年代 ・1990年以降

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