時代劇の風景  ロケ地探訪

丹波国分寺

 国分寺は奈良時代に国ごとに設置された官寺の総称で、聖武天皇の発願になる。
鎮護国家を説く仏教を用いて社会不安を鎮めようとの目的を持ち、ほぼ全国に置かれた。
十世紀以降は律令制の衰微とともに国家の庇護を失い、急速に荒廃していったこれら諸寺はこんにち場所すら定かでないものもある。
 丹波地方の国分寺も例に漏れず中世に荒廃し、江戸時代に再建された。現在亀岡盆地の田園地帯に小さな杜を従え残るそれは、簡素な門と本堂があるほかは崩れた土塀と礎石を野風に曝す侘びた風情を醸し出している。使用例は圧倒的に旅ものが多く、僅かに見られる江戸設定もほぼ御朱引きの外である。


小さな仁王さんが納められた門
門 内側 本堂

 門の両翼には小さな可愛らしい仁王さんが安置され、囲われたボックスの中でそれぞれ口を阿吽になさっている。使用時にはほぼこの門が用いられる。
 必殺仕舞人「恨みが呼んでる佐渡おけさ」では、坂東京山が晋松を訪ねる佐渡の町はずれの尼寺・椀葉寺として使われた。ともに裏稼業から足を洗っていた二人が出会い、長い諸国殺し旅のはじまりとなるくだりである。晋松はお尋ね者の身を隠し、尼寺の寺男として暮らしている設定、寺はか弱き女たちの恨みを晴らす仕舞人の総本山・本然寺の末寺とされている。使われたのは門。
新必殺仕舞人「三界節娘恋し父恋し」では、越後の妙法寺として使われた。情け深く民のため財を投げ出す高徳の僧が住持する寺で、立ち寄った坂東京山一座にもとても親切なこの坊主が、実は裏で宿役人や庄屋と手を組み、在の娘たちの生き血を吸う大ワルなのであった。門まわりが使われ、外の野原も映りこんでいる。
水戸黄門32「助さんの相棒は娘スリ」では、御老公に代参を言い付かった助さんが赴く能登・七尾の長栄寺として門が使われた。ここで助さんがタイトルの娘を拾う設定。
吉宗評判記 暴れん坊将軍「富士が見ていたあばれ槍」では、境内がたっぷり使われた。久能山参詣帰りの上様は一人気ままな旅を楽しみ、川止めの宿で爽やかな武士とその従者と親しくなる。しかし侍は鼻つまみ者の駿府奉行の弟と取り巻き連に嬲り殺されてしまう、その岩淵宿はずれ設定の荒れ寺がここである。主の急を聞き駆けつけた従僕は悲嘆にくれ、しかし復讐を誓う姿に感応の上様は立派に仇を取らせてやるというお話が続く。従僕を火野正平が熱演の一作。取り巻きを従えた駿府奉行の弟のシーンは境内に立ち門を背にしている。
鬼平犯科帳4「おしゃべり源八」では、凶盗を探索中襲われ記憶喪失となった火盗改同心が保護されていて、失踪後四ヶ月も経って木村忠吾に発見される目黒村の野道として使われた。野道には石仏があしらわれている。同「霧の七郎」では、鬼平の息子・辰蔵が下痢でへたりこんだところを、通りかかった浪人に助けられる巣鴨への田舎道として使われている。

礎石 境内から見た竹林

 境内の一角に、元の建物の礎石が残っている。
この礎石は、斬り抜ける「女が闘うとき」で、村の女たちが車座になってうわなり打ちの相談をしている場面で使われた。礎石の上にはゴザが敷かれ、女たちはお昼をつかっている。
この作品では、庄屋に村にとどまるよう勧められる楢井俊平のくだりなどで、南側の竹林を背景にしたカットが幾つか見られる。

崩れ土塀 境内の石仏群
門前から前の畑地を望む
左写真に見える建物は建てかけの「隠し剣鬼の爪」のセット
現在は右の写真のごとくきれいに整地されている

はさ木  仕舞人や暴れん坊将軍での門外の風景には、右写真のような「はざ木」が映っている。
はざ木は「はさ」または「稲架」と呼ばれることもある稲掛けのための木で、横木を渡して収穫した稲を干すのに使われる。畦畔木ともいう。かつては全国各地に見られたはざ木も、天日乾燥される稲がほとんどなくなった昨今では減少傾向にある。ドラマが撮られた当時は国分寺前の田畔にあった木々も、なくなってしまっている。実際、1993年の鬼平では、例に挙げた二作品ともはざ木は映っていない。右写真は国分寺の裏手に僅かに残るはさ木。

京都府亀岡市千歳


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