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 人々の暮らしを描くドラマであるから、時代劇といえども寺や神社ばかりでは成立しない。
海山の景あり道もあり野もあり、そして里と家が必要となる。
庄屋屋敷だったり、代官所だったり、里になったりする古民家がまだ残されていて撮影に使われる。
セットでは出ない風情がこれらを用いて醸し出され、見る者の脳裏に忘れ難い記憶を刻んでゆくのである。

 下写真の家は、丘陵地を縫って通じる古い街道に面して建つ。あたりに古刹は点在するものの宅地で、前の道は車も通る生活道路である。
旧道沿いの古い集落には古家も残るが多くは建て替っていて、この一画が奇跡のようである。長屋門の形をとり、塗込の小窓と犬走りの竹細工も美しく、萱葺きが維持されているのには頭が下がる。
長屋門 正面左翼 向いの蔵脇から
長屋門前南望 旧道北望 寺の石垣から長屋門

 ここは、新必殺からくり人 東海道五十三次殺し旅「三島」において、豪商・遠州屋屋敷として使われた。お話は広重の弟子・清吉の描くみごとな美人画をめぐって起こる悲劇で、妖しくも美しい運命の女を加賀まり子が演じる佳作。劇中では長屋門正面が印象的な回想シーンに挿入されるほか、写真下段右と同じアングルで、遠州屋に逗留する弟子を訪ねる旅装の広重の姿がある。同じシリーズの必殺からくり人富嶽百景殺し旅「駿州片倉園ノ不二」では、駿州の小大名・小島藩の茶問屋の寮として使われた。お茶壺道中を差配する茶頭の口車に振り回される小藩の悲劇で、妹の仇を討ちにいって斬られた姉の死体が運び出されるのを見る父・家老のシーンが長屋門で撮られた。将軍家の威光を笠に着る茶頭を憚って、家老は娘を乱心者として扱う、哀切極まりないシーン。
吉右衛門が豪快な闇裁きを見せる痛快時代劇斬り捨て御免!では、藩主を監禁して首をすげ替えようと陰謀をめぐらす風間藩城代家老の屋敷として使われた。夜のシーンで、灯をともした風情がなかなか良い雰囲気を醸し出していた。上州の武家屋敷という設定がぴったりとはまっている。
中村鴈次郎が水戸の御老公を演じた水戸黄門漫遊記(三隅研次監督、1958年)では、老公の居所を助さん格さんに告げる鳥追い女が出てくる屋敷。設定は奥州・白石之館近く。


 下写真の家は入口が長屋門で、周囲に腰高な石垣を持つ土塀を巡らせる。入って正面に主屋があり、蔵も残っている。脇には竹林や雑木林もあり、地道に落ち葉散り敷く風情がなかなかのものである。古い武家屋敷と伝わる。
長屋門 長屋門と土塀 西塀
西塀 西塀北望 北西角

 鬼平犯科帳「麻布ねずみ坂」では高崎の剣術道場で、土塀から門にカメラが移動し中山道の風景を演出する。
暴れん坊将軍では、なぜかとてつもなく遠い所にいたりする将軍吉宗が関わる事件の舞台として使われ、信濃代官所だったり、捕われの親を思って娘が塀外に佇む日向富高の出張陣屋だったりする。後者は雪があしらわれた幻想的な美しいシーン。
御家人斬九郎「大利根の月」は斬九版天保水滸伝という趣向のお話で、平手造酒と共に飯岡屋敷へ忍び込む斬九郎のくだりで長屋門が使われている。
 上記の例から明らかなように、旅先設定での使用が圧倒的に多い。旅ものと言えばロード時代劇の雄・三匹が斬るシリーズ、この作品では各地の代官所や街道筋、また庄屋屋敷としてシリーズを通して多用され、代官所の牢から出てくる燕陣内を殿様が長屋門前で迎えたり、懐手をした千石が塀際を歩いていたりする。
同じく旅ものの代表例・水戸黄門では、サウンドオブミュージックを翻案した男やもめの子沢山の父と気の強い下女が結ばれる話「奉公先は子沢山」で、「トラップ大佐」にあたる仙台藩の小役人の家として使われた。また、冥府魔道をゆく親子も通りかかる。透明感のある映像が美しい北大路版子連れ狼では、「鉄壁城の陰謀」の回で、隠れて姫を見守る忠義の「父」が子らと遊んでやる里の風景として使われている。
 江戸市中設定のものもある。剣客商売「勝負」は、秋山大治郎に勝つことが仕官の条件な剣客の話で、彼の剣術仲間が勝負について工作があるのではと噂しつつゆく道場のシークエンスに長屋門と塀が使われた。少しうねった塀を上から撮った珍しい例でもある。

*使用例一覧


 下写真の家は、山深い里の丘に建つ。前には棚田が広がり、傍らには大銀杏が聳えている。母屋は明暦年間、長屋門は元禄年間のもので、立派な土蔵も二つ残っている。お住まいになっていた一族は上代から続く家柄というから、驚かされる。
南の畑地から
下の道から見上げ 長屋門 西面

 ここは剣客商売4「逃げる人」で、話の主人公となる老武士と秋山大治郎が、乱暴な中間から助けてやった娘を送ってゆく山谷浅草村の名主宅として使われた。家は娘の奉公先という設定で、二人は人目を憚って家には近寄らず、上写真にある田畔の脇で娘を見送る。娘が礼を述べて去ったあと、あらためて名乗る大治郎だが、老武士のほうは口ごもり誤魔化してそそくさと去る。その背後に鮮やかに色づいた大銀杏と楓が映りこんでいて、一幅の名画を見るごとくの美しい場面だった。
暴れん坊将軍 II 「危機一髪!皆殺し砦」では、甲斐の土豪屋敷として長屋門が使われた。静穏に暮らすことを望む誇り高い一族の「砦」として、風格を醸しだしていた。
1983年版大奥「さらば!田園交響楽」では、吉宗が遠乗りに出た目黒村の百姓家でのちの青木昆陽と知り合うエピソードがあり、ここの前畑でともに野良仕事をする。
高麗屋が幕末の風雲児を演じたTXの正月時代劇竜馬がゆくでは、竜馬の生家として使われた。現在の高知市上町にあった郷士・坂本家は竜馬の父・八平で三代目となる家で、城下屈指の富商・才谷家の分家であった。郷士の身分は竜馬を悩ませた一件であるが、坂本家は富裕な家で、その設定をよく表現したロケーションである。竜馬が江戸遊学に出発するくだりでは長屋門がアップで、竜馬を案ずる故郷の女たちのくだりではロングで効果的に用いられている。
泥棒と殿様では、家老が若殿を迎えに来る際の背景としてちらっと映り込んでいる。
*因みにここは、蒲田行進曲で人吉のヤスの実家としても使われたことがある。


 下写真の建物では、長屋門が車道に面して建ち、裏手に土塀が巡らされる。隣家の石垣との間にある道は風情たっぷり。奥のほうの角では、塀が緩やかにラウンドした部分もある。藪との組み合わせもなかなか絵になる。
街道から 門屋細部 南塀
南西角 西塀 西の藪から

 剣客商売「逃げる人」は、親しくなった老武士が友の求める仇と知り苦悩する秋山大治郎の話で、その武士が起居する新鳥越町・貞岸寺近くの土塀に、ここの角のラウンド部分が使われている。塀は、盤嶽の一生でも複数回で使われている。
長屋門は、痛快!三匹の御隠居「娘を棄てた母 越すに越されぬ大井川」で、川庄屋の諍いに介入し私腹を肥やす悪代官のいる嶋田代官所として使われた。必殺仕舞人「花笠音頭は地獄で踊れ」では、凶作続きで困窮する民の弱みに付け込み娘たちを遊里に叩き売る悪代官のいる熊井代官所として、長屋門と塀が併用されている。水戸黄門「臆病風を吹っ飛ばせ」は林与一が悪役として登場の記念すべき回で、私腹を肥やし下僚を苛める高岡藩の筆頭与力を演じる。その悪行を老公に報告する助さん格さんのくだりで、塀のラウンド部分が使われている。
ここの使用例も旅ものが多く、三匹シリーズでも頻繁に用いられる。同じく旅ものの殿さま風来坊隠れ旅にも使用例があり、尾張大納言・ムネさんが暴れていたりする。

*使用例一覧


 下写真は大阪府の千里丘陵にある服部緑地の、日本民家集落博物館内にある南部曲屋。旧南部藩領から移築されたもので、母屋と厩がつながったL字型の入母屋作り。これは囲炉裏の熱で馬も温めてやる仕掛けで、南部の人々の駒への愛情からきたもの。
南部曲屋 母屋塀際 屋根断面
保存のため火が焚かれている 作業場 南部曲屋

 ここは、壬生義士伝(テレビ版)で、南部の鹿角口陣屋として使われた。親友・吉村貫一郎の死後、徳川家を擁護する態度を鮮明にした大野次郎右衛門が陣を張る、戊辰戦争ただなかのワンシーンである。外観のほか、母屋の塀際が吉村の息子・嘉一郎が雫石から転戦のすえやって来るシーンに、内部が大野の下男・佐助が転寝をしているシーンに使われた。上写真上段中央の奥に映りこんでいるのはお隣にある敦賀の民家。

 この民家博物館には東西から移築された十余りの古民家があり、丁寧に人手をかけて保存されている。中には塩川正十郎元財務大臣邸(旧布施市)の門屋などもある。広い敷地にゆったりと建てられ周囲には様々な樹木も植え出されているので、撮影には格好の場所と言える。


 下写真の家は、田園地帯に建つ。圧倒的に大きな萱葺き屋根が特徴である。整然とした腰板が貼られた塀も、前の水路も風情たっぷり。
南正面 蔵と母屋 水路と塀
 ここは、三匹が斬る!「鬼と呼ぶ男に惚れて薄化粧」で、腹下しの千石を助けてくれた蘭方医・東庵邸として使われた。また又三匹が斬る!「鬼っ子が母と慕うはいかさま女」では飯沼藩出張陣屋として使われた。新・三匹が斬る!「逃げた女、産めよふやせ悲しき子宝奉行」でも使われ、こちらでは奥州・浅倉藩領の庄屋屋敷という設定。いずれも画面いっぱいに広がる大屋根が迫力で、印象深い。
新必殺からくり人「府中」では、ピーター演じる凶盗に押し込まれる庄屋屋敷として、新必殺仕置人「暴徒無用」では、多摩の山奥の平家落人部落、影沢村庄屋屋敷として使われている。
あばれ八州御用旅「東洲斎写楽を斬れ!」では、賞金稼ぎの浪人が凶盗を捕えた褒美を貰い出てくる八王子代官所として使われ、この際は塀が効果的に映りこんでいる。
美輪明宏演ずる歌舞伎役者が壮大な復讐劇を繰り広げる雪之丞変化「紫の囮」では、拳法指南の武術家の屋敷として使われた。
暴れん坊将軍 VI「盗賊の娘」では、三箇条の掟を守って死んだ盗っ人が陰で営んでいた報謝宿として使われた。

 下写真の家は山裾の、田畑と家並みが混じる里に残る。長い塀をめぐらせ、前景には水田が広がる。入口の両脇に築地があるのが特徴で、主屋は萱葺き。屋根押さえの馬もしっかり残っている貴重なもの。
ほぼ門前が使われ、畑地や柿の木も映り込む。たまには主屋玄関先も使われ、門からちらっと外がのぞくこともある。
遠景
主屋 塀と門

 ここは、新旧の作品に多用されるスポット。旅ものでの使用例が目立ち、設定は庄屋や名主の家、また時には代官所に擬えられる。
 若山富三郎が壮絶な復讐の旅を続ける賞金稼ぎを演じた唖侍・鬼一法眼「血闘無明嶽」では、回転銃を携え馬に乗ったほぼ「ガンマン」の法眼の姿が門前にある。西部劇ノリのお話に、萱葺きの屋根が不思議にマッチしている。
新必殺からくり人最終話「京都」では、座頭に検校の位を授ける公家・久我家の屋敷である。この「御所サン」相当困窮しているという設定で、訪ねてきた蘭兵衛と塀ぎわを歩くシーンでは漆喰がぼろぼろに剥落しているさまが映っている。他作品ではこれほど損傷している状態を見ないから、なにかで壊れたときにすかさず利用したものと思われる。
必殺仕舞人「織姫悲しや郡上節」は、紬の里での悲話。坂東京山一座が婚礼の祝いに招かれた家で悲劇が起きる、その百姓家としてここが使われた。新婚夫婦に情を寄せ深入りする直次郎の姿が門前の畑に見られる。織元のくびきを逃れやっと実際に夫婦として暮らせるとして、亭主を呼んできてやると新妻に微笑みかける姿と、謀殺された亭主の亡骸を運んできて門に凭せ掛け新妻の嘆きを物陰で聞き顔を伏せる姿と。顔を上げた直次郎は気のいい兄ちゃんではなく暗殺者のそれに変貌しており、本田博太郎の目つきが見ものである。
吉宗評判記 暴れん坊将軍「聞いてちょ!爺ちゃん若様評判記」は、側用人・加納じいの知行地・三河の西大平が舞台のお話。じいを「若様」と呼ぶ家士の爺さんが亡くなったあと、この地を狙う尾張柳生との攻防が描かれるが、この際その爺さまの屋敷としてここが使われた。加納じいはともかく、気安く上様も来ている「旅もの」である。同シリーズ「瀬戸のさざ波乙女波」は、尾道が舞台のこれも旅もので、加納じいからめ組まで引き連れて遠征の上様が福山藩のお家騒動を収束させるお話。ここでは、重税にあえぐ木梨村の庄屋屋敷として使われた。
ロード時代劇・三匹が斬る!シリーズでは何度も使われ、最終シリーズの痛快!三匹が斬る!などではあまり間をおかず三度も出てくる。設定はほぼ庄屋屋敷。
北大路欣也版子連れ狼「愛と死の道中陣!亡き妻の哀しき面影」では、拝一刀をたばかり亡父と亡君の仇を討ちたいと申し出る女の家として使われた。この女が一刀の亡き妻・あざみに酷似しており、揺れるかに見えた心はやはり冷徹な刺客のものだったという筋立て。
八丁堀の七人「女盗賊の涙!二人の息子が対立を」は、三箇条の掟を守ってきた盗賊が役人に捕まり、因果を含められて凶行を重ねる悲劇。自分の体調のため捕まり、二代目たる息子が外道に成り下がるのを見ておれず母は彼を刺殺するに至るが、足を洗った兄弟同様の男を引きずり込もうとする息子を阻止するのがきっかけ。その幼馴染二人の回想シーン、フォーカスをかけてここの門前で遊ぶ幼子二人の姿が映し出される。

*使用例一覧

special thanks to H.Nakata


北塀 剣客商売5「狐雨」に使用例あり 谷地田イメージ
イメージ イメージ 未確認ながら時代劇使用例あり

 里山の麓に集落があり、小川が流れ、屋敷林が散在し、家のかたわらには畑。これらの風景が失われゆく速度は、人の心すさみゆく速度に比例するのではないか、そうした思いが、宝石の如く残された里や家を拝見して澎湃と起るのである。

 いま、わたしたちが持つ郊外の風景というのは全くもって情けないありさまで、丘を削って作った造成地にショートケーキのような家々が並んでいたりする。あるいは街道沿いに巨大商業施設が点在し、青い山なみの前景にどうにもそぐわないコンクリート構造物が見えて、興を削がれること甚だしい。
これもわたしたちの歴史や文化そのものであり、頭から否定できようはずもない。しかしその昔巧まずして形作られていた里の風景は、これから先のデザインを考える際に範とすべき貴重な財産であると、つよく思う。


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