山門 湖南アルプスから流れ下る金勝川が山を出る里、東坂にある阿弥陀寺は室町期の古刹。竜王山上にある金勝寺が女人禁制であったため、衆生救済の念仏道場として麓に開かれた庵を起源とする。その後守護大名佐々木氏の庇護により堂舎整い阿弥陀寺となり、しばらくは近江浄土宗の拠点であった。
緑濃く水清き里の丘に建つ古寺はしっとりと落ち着いた風情で、天照仏とも称される阿弥陀如来を祀り静もっている。

 阿弥陀寺は、2002年正月の長尺ドラマ壬生義士伝で、南部盛岡の寺として使われた。
ドラマは、主人公・吉村貫一郎の幼少時から説きおこし、新選組隊士として鳥羽伏見の戦いに斃れる彼を描ききる大作。
その冒頭、まだ寺子屋で手習いをしている歳の貫一郎が、のちに妻となる運命の女性・しづと出会う盛岡城下・上田組丁の正覚寺のくだりが、ここ栗東の阿弥陀寺で撮られた。正覚寺も宗旨は同じ浄土宗、屋敷町の裏の丘という立地も不思議に一致するのが面白い。
実際はどうだったかわからないが、ドラマでは貫一郎の通う上田組丁の寺子屋「赤沢の塾」は「正覚寺」内と設定され、本堂が使われている。
山門内、参道石段まわり
 母に手を引かれて寺子屋へ赴く幼き貫一郎は、上写真左の小道を来る。ドラマでは板塀がセットされている。そのあと、「正覚寺」の石段をのぼってゆくシーンは上写真中央の祠脇を曲がり、右写真のアングルで門を見上げている。
この間、貫一郎自身の声で出会いの情景が回想として語られる。このとき、貫一郎は鳥羽伏見の戦いから落ち延び、辿り着いた南部藩の大坂蔵屋敷で切腹を迫られているのである。回想時は、貫一郎七歳、しづ五歳の春である。
中門
 貫一郎母子は、石段を登りきって中門へと差し掛かる。中門前には、雫石から花を売りにやって来たしづとその母が座っている。
「岩手山(おやま)の花ッこはよがんすか」と声を掛けるしづの母、花もきれいだがと幼女・しづの容色を褒める貫一郎の母、このとき貫一郎少年は気のないふうで母の手を離れぷいっと門内に去ってゆく。しかしここで貫一郎の回想が被り、このとき幼い彼はしづを「嫁こにすべ」と思い決めていたことが語られる。
お堂で手習い中の貫一郎の視線は門外のしづを捉え、お習字の手も止まってしまう。カメラは、地べたに座って桶の花をいじるしづにズームしてゆき、次の瞬間17歳のしづにぱっと場面が切り替えられる。この印象的なズームの際には、上に挙げたパノラマ写真のアングルが使われている。カメラはお堂の中から来ている。坂に組まれた石垣法面の見え具合といい楓の木の曲がり具合といい絶妙で、長く脳裏に残るシーンであった。
本堂
 時移り、17歳の美しい「雫石姉ッ子」となったしづは変わらず花を売りに「正覚寺」へやって来る。母は伴わず一人で花を背負って、場所は同じ中門の前。
優しい声で雫石の花をすすめるその姿を、門内から覗き見している青年がいる。のちに南部藩重役となる、大野次郎右衛門19歳である。
「ずろえ」は思いを募らせた挙句、井戸で足を洗い首筋の汗を拭くしづの前に立ち名を尋ねる。この会話を物陰から聞いている貫一郎19歳が本堂縁先から顔を出していて、しづの視線を受けそそくさと走り去ってゆく。
この「井戸」は本堂前にセットされて撮られた。位置は背景に映りこんでいるサルスベリの木と石垣で判る。
本堂前、南望  奥は墓苑
 直後の「ずろえ」としづのことで喧嘩になるシーンは別の場所で撮られていて、阿弥陀寺はもう出てこない。五分足らずのシークエンスだが、まことに印象的な画面であった。
滋賀県栗東市東坂

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