時代劇の風景 ロケ地探訪 平岡八幡宮

参道鳥居 周山街道が登り道となり始める地に鎮まる梅ヶ畑の産土は、弘法大師・空海が神護寺の鎮守として宇佐八幡を勧請したやしろを起こりとする。
本殿の格天井は鮮やかな花の絵で飾られ、「花の天井」と親しまれる。境内のそこここに見られる椿は祈願成就の故事を秘め、絵馬にも描かれている。

 街道に面した鳥居をくぐると、長い砂利の参道が続く。これは緩やかな坂となっている。両脇には桜並木が沿う。坂を登りきると広場となり、土俵の跡が見える。殿舎は一段高く作られていて、周囲を石の玉垣が囲む。短い石段を登ると大きな舞殿があり、そのうしろに本殿が控える。

この立派な舞殿は、1966年の市村泰一監督作品燃えよ剣で、くらやみ祭りが行われる多摩の六社明神として使われた。のちの新選組副長・土方歳三が、運命の女と出会うくだりである。祭りは神聖にして猥雑な奇祭で、歳三は灯の消された境内で神官・猿渡家の令嬢を抱きすくめるが、このことが八王子の大喧嘩につながり、因縁は京洛にまで持ち込まれるのだった。
正しくは大国魂神社という六社明神は武州の総社で、格式が高い。ここの大ぶりの舞殿で神楽が舞われ民衆が石段を埋める画は、その威容をよく伝える。
*この映画は大船で撮られたもので、京都ロケは疑問なところ。しかし垂壁に掲げられた篇額は三つとも一致。
阪妻の国定忠治(1946大映)では、鎮守の森で雨乞いをする百姓衆のシーンが舞殿下の広場で撮られた。

参道から舞殿 土俵から舞殿

 参道から舞殿を望むこのアングルは、鬼平犯科帳「おしま金三郎」に見られる。
強引に過ぎる捜査手段が問題となり火盗改をお役御免になる同心・松波金三郎の話で、彼が退職後開く居酒屋が参道にセットを建てて撮られた。店は上写真左の、先頭の車が停まっているあたりに置かれた。設定は麻布田島町の鷺森神明宮門前(現港区白金)、当時は江戸のはずれ。酒肆のセット越しに石段と舞殿が映り込むなかなかよい画面で、石段の下を人が左右に歩き、フレームを出入りして広がりを持たせる。

舞殿前から参道を見下ろし 舞殿越しに本殿

 松波を付け狙う盗賊を警戒し見張る現役同心のくだりでは、上写真左の燈籠が使われた。写真はドラマとほぼ同じアングルで、金三郎の店を眺めるかたちとなる。見張りの同心のもとへ金三郎から差し入れがなされるシーンがあり、女中が石段を登ってやって来る。
金三郎のもとへ立ち現れる、お役を退くきっかけとなった盗賊一味の女・おしまのくだりでは、上写真右の本殿前から女が現れる。
同シリーズ「おしゃべり源八」では、盗賊を追う途中記憶をなくした火盗改同心・久保田源八が失踪直前に衣を替え、文を託した藤沢宿手前の時宗総本山・清浄光寺参道の茶店セットが「おしま金三郎」のときとほぼ同じ位置に建てられた。設定の寺は丘の上にあり、参道の坂は「遊行坂」と呼ばれる。これを表現するのに参道の北向き・南向き両方の画が使われる。
西郷輝彦が影の八州回りを演じた痛快ロード時代劇・あばれ八州御用旅でも、第二シリーズ「檜舞台の罠!旅役者涙の晴れ姿」において参道が使われた。旅の一座が神社で小屋掛けをするという設定。

玉垣東端

 水戸黄門第33シリーズ「帰ってきた風の盆」では、越中・八尾の村の鎮守として使われた。名物の「おわら風の盆」に向けて踊りの練習に余念ない村人が集うお宮さんである。
お話は、悪徳商人とつるんだ郡奉行の苛政に泣く民が、踊りを見にやって来る殿様に直接窮状を訴えようとはかるもの。黄門さま一行は彼らに降りかかるトラブルにこまめに介入し、最後にいつものように印籠を出して解決するのだが、この場面に境内の様々な個所が使われた。
まず、直訴がらみで失踪中の恋人を持つヒロインが、悪徳商人の手下にさらわれかかるシーンは、上写真の玉垣の切れたところで撮られた。本殿を出て踊りの稽古から帰る道で襲われる設定、傾斜がうまく使われている。その後も性懲りもなくお宮さんを窺うちんぴらを見たあと、失踪中の踊りの名手・与七の歌声を聞く助さん格さんのシーンは、下写真左の石段が使われている。この石段は西側にある細い参道に通じている。

西側・脇参道の石段 玉垣西端

京都市右京区梅ヶ畑古田町


・ロケ地探訪目次 ・ロケ地探訪テキスト目次 ・ロケ地資料 ・時代劇拝見日記
・時代劇の風景トップ ・サイトトップ