時代劇ロケ地探訪 大坂城

 大坂城は、上町台地の北端に建つ、「天下人」豊臣秀吉が築いた広壮な城。
ここにはもと石山本願寺があり、織田信長の軍勢と十年近く戦ったのち炎上した。
その後秀吉により天下が統一され、希代の土木プランナーはここを拠点と定め巨城を築く。しかし彼の死後天下の趨勢は急速に徳川氏へと傾き、関ヶ原の戦いののち冬の陣・夏の陣を経て浪花の城は業火に焼き尽くされることになる。
江戸期は徳川氏が西への抑えとして復し維持したが、三百年後の動乱期に要塞として機能することは遂になく、権力者にとっては悲運の城であった。

京橋口付近から見た天守

 いま見る大阪城の天守は三代目。初代は秀吉がつくった黒漆に金張りの絢爛たるもので、夏の陣において炎上、消失。二代目は徳川氏が建てた白亜の天守で、豊臣時代より大きく高くなっている。これは落雷により失われ、いまあるのは昭和初期に建てられたコンクリート製のもので、デザインは初代を参考にしてある。三代目の昭和の天守は平成の大改修を経て、上層部の装飾も華麗な輝きを取り戻している。

拝観入口から 玉造口から 西側直下から

 大阪城は姫路城や彦根城と違い、時代劇で使われる際は他の城に見立てられるよりも当の「大坂城」としてのことが多い。あまり寄った画だと、太閤風味の金ぴか部分が見えてしまう事情もある。
戦国もので使われるのはもちろん、幕末ものでも大塩の乱や鳥羽伏見の戦い前後に使われる。天守のみ映る場合は、役者さんが入っていないイメージ映像も多い。

六番櫓 豊国神社南の外濠 東側内濠

 使われる個所はさまざまだが、大手前の官庁街やOBPが映り込むアングルはもちろん避けられる。城の鬼門にある砲兵工廠跡のビジネスパークは近年つくられたもので、古い作品では北東向きの画も見られる。

OBPと大阪城  阪神高速東大阪線・法円坂付近から

 今やお城は高層ビルに詰め寄られ、遠くからは上写真の如くの風景となっている。
城によく湧いた怪獣は新しい高層ビルのほうがお気に入りらしく、昔は暴れて破壊した天守に目もくれず、ゴジラはツインタワーに吸い寄せられてゆく。

大手口・南から 千貫櫓(左)と大手
大手口・正面 大手門
多門櫓

 大手口は府庁やBK等の官庁が立ち並ぶ、西側にある。もとは三の丸に通じた生玉口にあたる。外濠を切るかたちでスロープがあり、大手門に導かれる。左手には千貫櫓が張り出して大手の防備とされている。大手門を入ってすぐには巨大な多門櫓が立ちはだかり、威容を誇っている。

 大手口は、1983年版大奥「京より天女が舞い降りた」で、矢島局の仕打ちに耐えかねた家綱の正室・顕子が京へ帰るため出る江戸城の門として使われた。浅宮の駕籠は大手門をくぐり、スロープを中ほどまで来たところで止められる。大奥で経験した様々の事柄を走馬灯のように思い出す顕子は、侍女の飛鳥井の身の上に思い至って駕籠を返させるのだった。この際、画面は大手口を遠望するショットに変わる。このお話では、江戸城大天守が明暦の大火で焼け落ちたことが将軍家綱のトラウマになっている設定なので、天守が映りこまないアングルがとられている。お端下女中のエピソード「赤ちゃん騒動記」では、ミヤコ蝶々演じる老女中が大奥を辞すくだりで、大手門で見送られている。
2004年の大河ドラマ新選組!でも使われた。鳥羽伏見の戦いの直前深草墨染で狙撃され負傷した近藤勇と、病気療養中の沖田総司が大坂城にいるのだが、彼らのもとに届いたのは幕軍敗走の知らせだった。このドラマ中、大坂城の記号となったのが大手口で、上写真の南から見たアングルが使用されている。幕末当時の大坂城には天守は無かったので、大手を用いたものと思われる。使われたのはイメージショットだが、軍隊が大手門から出てくる姿もあしらわれている。
江戸を斬る 梓右近隠密帳「将軍家謀殺」では、宇都宮城(亀ヶ丘城)として使われた。講談噺の「宇都宮釣り天井」を採り入れたお話で、本田正純が将軍家光の命を狙う。知恵伊豆から相談を受けた右近は早速宇都宮に赴き、城を眺めていると普請場のバイトに誘われるのだった。右近と新助が立っているのはスロープの中ほど。
多門櫓は、斬り抜ける・俊平ひとり旅「黄金振舞」で金をとって逃げるシーンのひとこまに使われた。
千貫櫓が使われたのは森村誠一原作の刺客請負人で、村上弘明演じる主人公・松葉刑部の出身藩である奥州・六郷藩のお城イメージとして登場する。本荘城ならば天守は無かったので、櫓の使用が納得できる。

極楽橋から天守を望む
極楽橋と天守 極楽橋・内側から

 極楽橋は内濠に架かる橋で、山里曲輪から二の丸に通じたもの。橋北詰からは天守がきれいに望まれ、「余計なもの」は一切映り込まない。橋は木で装飾され、立派な擬宝珠もついている。

 中村吉右衛門が密名を受け悪を斬る豪快な番所頭取を演じた斬り捨て御免!の第三期は、「翁の御前」と呼ばれる謎のフィクサーと三十六番所との死闘を描くシリーズ。最終話において、怪人が籠るのが大坂城。そのイメージに、極楽橋から見た天守が使われた。
吉宗評判記 暴れん坊将軍では、江戸城としての使用例がある。城内設定で、松平健は将軍ルックで橋上に立ち、側用人の加納じいや大岡越前守と話している。内濠端でお庭番の報告を聞くシーンもある。
江戸を斬る 梓右近隠密帳最終話「対決」では、丸橋忠弥が下城してきた松平伊豆守に浪人の困窮について堂々と御政道批判の論をぶつくだりが、橋上で撮られた。

刻印石広場

 天守の真北には山里丸があった。茶や能が催された風流の場で、今は石垣を残すのみ。夏の陣においてここで淀君と秀頼が自刃したとされ、碑が立っている。

 不義者・俊平が愛する「菊さん」を亡くしたあと、更なる修羅と化して旅をゆく斬り抜ける・俊平ひとり旅の「黄金振舞」は大坂が舞台。陰惨なエピソードがこれでもかと連続するシリーズ中にあって珍しく明るめのお話で、中村玉緒演じる掏摸女とともに大坂城の金蔵を狙う経緯が面白いが、金蔵を襲ったことにより、俊平は出身藩の追手に加え幕府からも睨まれることになる。相棒の火野正平を役人として送り込むくだりや、工事人夫としてまんまと入り込む俊平たちのくだりに、上写真の広場付近が使われた。上写真左の天守見上げと同アングルの画もあるが、石垣が今と少し違う。

桜門

 斬り抜けるの大坂城金蔵破りの段では、ほかに桜門も使われた。入ってゆくシーンのほか、盗った金を早桶に入れて運び出すシーンにも使われた。
門外の、空堀にあるスロープではいきり立った追手が殺到してくる。
桜門はここに師団を置いていた陸軍が明治期に再建したもの。門からは天守が望まれる。

青屋門 天守下石垣から見た青屋門

 青屋門は城の丑寅にある裏門。多門櫓と比べると規模も小さく、簡素なつくりとなっている。通常は閉ざされていたというこの門は、いま多数の人が行き交うところ。上写真右の遠景にあるドームは大阪城ホール。この付近では、所謂「大阪城ストリートLIVE(城天)」が行われる。

 江戸を斬る 梓右近隠密帳「将軍家謀殺」で宇都宮城として大坂城が使われた際、ここも使われた。由井小雪が送り込んだ張孔堂メンバーが出てくるのを右近が見るくだりで、右近は城代家老の下城を迎えに来ている。同「反乱前夜」でも、徳川頼宣が江戸城を下がってくる際に使われている。
新選組副長・土方歳三の半生を描いた燃えよ剣の終り間際・函館編の「シノビリカ」では、松前城攻略の段で青屋門が出てくる。
将軍家光忍び旅「陰謀渦巻く駿府城 家光を狙う死の釣天井」は、駿河大納言となんとか和解しようと、上洛の途にある家光が駿府城に立ち寄る話。将軍を害す気満々の忠長卿が、将軍の来訪を今かと出迎えて待つ城門が、青屋門を使って撮られた。

*大阪城ロケ使用例はロケ地資料「大阪府」

大阪府大阪市中央区


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