時代劇ロケ地探訪 嵯峨点景

 嵯峨・嵐山には時代劇ロケ地のメッカ・大覚寺があり、そこかしこに頻出スポットがひしめいている。この項では、使用例は少ないものの印象深い点景を集めてみた。

■ 直指庵

 北嵯峨の奥、大覚寺の裏へ来る細流の谷筋にある庵寺。
そのかみは禅寺であったが、幕末に近衛家老女が草庵を営み現在に至る。老女とは安政の大獄に連座した村岡矩子のことで、梅田雲浜や頼三樹三郎ら勤皇の志士と近衛卿の間に立ち、攘夷の密勅降下に尽力した。幕末もののドラマには時折登場していて、歴史好きには耳に親しい名である。

山門 本堂
小柴垣 庫裏(道場)
 お堂に置かれた「思い出草」というノートには、ここを訪れた多くの人が悩み苦しみを綴ってきた。人生の苦さを吐露する場である草庵は、将軍の勘気を蒙った水戸の老公が隠居する山荘としてロケに使われた。市川團十郎が水戸光圀を演じた天下の副将軍水戸光圀では、庫裏と周辺が水戸西山荘として演出されている。庫裏の萱葺き屋根がぴったりの情景なほか、小柴垣の道を水戸藩家老がやって来たり、老公を狙う刺客が潜んだりする。テレビシリーズの水戸黄門でも使われた。舞台は鶴岡で、次席家老の藩政壟断を何とかしようと動く女黄門みたいな藩主のおばば様が住むお屋敷として、ここの山門とお堂が使われた。
花に新緑、竹林を渡る風も色づいた紅葉も美しい佇まいのお寺だが、よく晴れた冬の日の風情もなかなかである。
京都市右京区北嵯峨北ノ段町

■ 祇王寺

 嵯峨の山懐に抱かれる、清盛の愛妾だった白拍子・祇王ゆかりの寺。
侘びた門も苔庭も、平家にまつわる哀話を偲ぶによい雰囲気。

山門 苔庭と本堂
 北大路欣也版子連れ狼「憎しみの刺客依頼!涙を流した大五郎」で、山門が刺客依頼の尼の住持する雨月庵として使われた。設定は尼寺で、まさにぴったりとはまっている。
京都市右京区嵯峨鳥居本

■ 車折神社 くるまざきじんじゃ

 清原氏ゆかりの社で、名は後嵯峨帝の牛車を止めた石に由来する。
商売繁盛に霊験あり尊崇を集めるほか、摂社の芸能神社には芸事上達を祈願して奉納された玉垣が所狭しと並ぶ。

鳥居 拝殿
北参道 嵐電の駅
 華やかな拝殿が江戸の町なかとして使われる。
吉宗評判記 暴れん坊将軍の最終話「しばし名残の八百八町」では、徳田新之助を追って旅立った辰五郎の無事を祈願するめ組の衆の姿が見られる。長七郎江戸日記2「夢いくたび母の暦」では、島帰りの女が、商家の養女となり幸せに祝言を上げる娘を遠目に見て立ち去る神社として使われた。八丁堀の七人では、珍しく男に惚れられた弥生先生が男に返事を迫られる神社だったり、辻斬りが出たりしている。名奉行遠山の金さん(松方弘樹版)では、願掛けの神社や市中の情景として使われた。
 社殿の北はすぐ嵐電の駅。通勤通学に境内を通り抜けてゆく人も多い。芸能神社では、林立する玉垣にスターの名を見つけるのも楽しい。時代劇の大御所があるかと思えば、若いアイドルの名があったり。駐車場にある右写真のところでは、思わず明雄さんの名前がないか探してしまうのだった。
・ロケ使用例一覧
京都市右京区嵯峨朝日町

■ 朝鮮石人像

 これは宝厳院と道を隔ててすぐ東側にある料亭「湯豆腐嵯峨野」の、塀外にある朝鮮ふうの石人像群。お店は森嘉の豆腐を使った湯豆腐を出す閑雅な料亭だが、どういった経緯でこの像が置かれているのかはわからない。なにせここは石庭の上にどーんと人間魚雷・回天が置いてあったりするのだ(注・2002年8月に広島へ移された)
像は南河内の野中寺にあるものとよく似ている。大きな石材店には、似たものが展示されていることもある。もともとは半島で貴人の墓の守護神として置かれたものだと聞く。

 こういうエキゾチックなものや意外なものを好んで使うのはやはり映像に凝る「必殺」。初期シリーズに幾度か用いられた。
新必殺からくり人東海道五十三次殺し旅「三島」では、火吹きのブラ平が代官所に呼び出されたお艶を迎えに出て行き会うシーンで背後に映っていた。翔べ!必殺うらごろし「人形が泣いて愛する人を呼んだ」でラスト、おばさんがワルを仕置するシーンの背後に映っている。おばさんはいつものように「忘れもんだよ」などと気安く声を掛け、相手が油断しきっているところをぶっすりと刺す。暗闇仕留人「仏に替りて候」では、強請りをはたらいた夜鷹を志賀勝が石人像の東の並木のところから血相変えて追ってくる。
必殺必中仕事屋稼業の第一話「出たとこ勝負」では、石人像はほとんど映らない。初めての仕事において石橋蓮司を殺る際、鉢合わせするかたちで出会った半兵衛と政吉が「見たな」「死ね」とやり合うのが上写真・下段右の塀際。奥の中山邸(現・宝厳院)の柵ははっきり見えるが、像はほぼ映らない珍しい例。このくだりには、元締のおせいが政吉の得物の懐剣を見て我が子と気付く重要なシーンが含まれている。
東映ものでもたまに使われる。十手無用 九丁堀事件帖暴れん坊将軍では、中山邸と併用されている。
・ロケ使用例一覧
京都市右京区嵯峨天竜寺芒ノ馬場町

■ 嵐亭

 ここは「ホテル嵐亭」として営業している高級料理旅館で、川崎造船の創始者が別荘とした「延命閣」が起こり。明治になってできたこのあたりの別荘群は天竜寺の塔頭だったものがほとんどで、ここも同じ事情で別荘となった。その後所有者が変遷し現在に至る。
庭からは桂川を挟んで嵐山を見るという、贅沢極まりない立地である。

嵐峡越しに望む建物
 皇族方や国賓の宿泊も多いという嵐亭。その豪儀な構えは、大奥暴れん坊将軍において延命閣が江戸城内の描写に用いられるという具合である。セットでは出にくい深みがドラマを彩る。アングルは庭から延命閣を見るものが多いが、生垣越しに嵐山の緑を背景にすることもある。
使用例は延命閣が大半だが、門が別荘入口に使われたり、嵐峡畔の道から見た外観を背景とする例もある。変わったところでは、長七郎江戸日記「妻こそ我が命」において向島の隠居所として外観が使われ、探っていた火野正平が生垣からずぼっと顔を出すシーンがある。このほか、嵐峡がロケに使われる際にはよく映り込んでいる。
・ロケ使用例一覧
京都市右京区嵯峨天竜寺芒ノ馬場町

■ 亀山公園

 嵐峡のほとりの小丘が、府の公園となっている。展望台からは大悲閣と保津峡が望まれる。峰伝いに、大河内山荘や常寂光寺へ抜けるのも楽しい。

嵐峡側アプローチの坂 右写真は見下ろし
 暴れん坊将軍第10シリーズ「ケガで十両、死んで百両!?息子に捧げる母の命」では、息子の借金を評判の菩薩講で完済してやろうとした母が、入水のためふらふら水辺に寄ってゆくというくだりで、上写真の坂が使われている。街灯などマズいものは巧みに避けられている。
嵐峡沿いの道には、公園へのアプローチだけでなく公園の端にある料亭などの施設への石段などもついている。これらも時折使われている。
京都市右京区嵯峨亀ノ尾町

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