時代劇ロケ地探訪 智積院

 東山七条の東大路に妙法院と並んで豪壮な塀を見せる大寺・智積院(ちしゃくいん)は、真言宗智山派の総本山。新義真言宗の祖・覚鑁(かくばん)上人の根来寺が紀州攻めの秀吉に焼かれたあと、夏ノ陣後家康によってこの地が与えられ今に至る。ここは早世した秀吉の子・鶴松の菩提を弔う寺があったところで、お隣の妙法院との間の坂を登れば太閤の廟所がある阿弥陀ヶ峰、奇妙な因縁である。

*タイトルの桔梗は智積院で撮影、この花は智山派の紋章

総門 参道 金堂 明王殿

■ 大書院

 書院の庭はよく知られた名勝、桃山期の風をよく伝える池泉が特徴。深山幽谷の気配を漂わせる築山を池越しに見る座敷には、華やかな装飾が施されている。水中に基壇のある蹲や、池に張り出した縁など細部にも見どころが多い。

庭から見た大書院縁先 大書院縁先
大書院座敷
座敷から刈込を望む 池に張り出す縁側
池の石橋 講堂北縁

 中村吉右衛門が大石内蔵助を演じた忠臣蔵 決断の時では、大書院が本所松坂町の吉良邸として使われた。頃合は内蔵助の「遊蕩」がはじまる前あたり、吉良が庭に面した座敷で訪ねてきた息子・上杉綱憲を迎えるシークエンス。上野介は池の石橋を腰元らに支えられながら綱憲の待つ書院座敷へ入ってくる。綱憲に従ってきた家老・色部又四郎は縁先に控えている。浅野の遺臣などに何ができようと強がりはしゃぐ上野介と、冷たい表情で端座する色部のコントラストが描かれる、印象的なシーンである。築山から座敷を見下ろした大胆なアングルが使われるほか豪奢な襖絵が映り込み、御府外に屋敷移りしたとは言え贅を凝らした高家の住まいの風情がよく表現されている。
 大奥 華の乱では、将軍綱吉の生母・桂昌院が新たに引きずり込む側室・大典侍の段で使われた。父大納言とともに桂昌院にまみえるくだりが大書院の縁。その後柳沢吉保と桂昌院が密談しているシーンは講堂北縁、書院入口手前の一角で、築山を背後にしている。


■ 密厳堂

 金堂の北にある密厳堂は、興教大師・覚鑁を祀るお堂。上人が鳥羽上皇の宣旨により高野山に建てたお堂は密厳院といい、これが焼かれたあと根来に移った経緯がある。
金堂から少し上がった丘に建ち、鐘楼や蔵をはじめ諸々の施設が配置されている。

密厳堂 鐘楼
境内摂社 蔵と鐘楼

 大川橋蔵の銭形平次「首なし佛」は、お店者が失踪したかと思うと首無し死体が出たりする猟奇タッチでミステリアスな展開のお話。失踪事件に乗じた浪人者が商家から金を毟り取ろうとする現場が、密厳堂境内をいっぱいに使って展開される。
三好屋の主の横暴に怒り自ら姿を消した若者が、姉つながりの浪人者に三好屋の娘が来るとたばかられ共に待つのが密厳堂前。若者が帰れない理由は金の紛失と三好屋を騙し、番頭とともに他の浪人がやってきて正体を現すのが鐘楼、現れた親分とやり合うシーンではこれを大胆に使って大立ち回りとなる。このほか蔵や摂社、宝筐印塔など境内施設がたっぷりと映り込む。このあと浪人たちとは別の筋の、事件の真犯人が現れるくだりでは大師堂になだれ込んゆく。


■ 大師堂

 大師堂は弘法大師空海を祀るお堂。
金堂の前から北に段を上がったところにあり、密厳堂の西に位置する。

大師堂から密厳堂へ通じる石段
大師堂 大師堂前石段

 密厳堂の南西端にある石段を降りると大師堂へ出る。銭形の親分が出て大立ち回りになっている密厳堂から石段を駆け下りて逃れた若者は、大師堂の前に立つ。そこへ現れるのが、店の娘と若者が一緒になって跡継ぎになられては面白くない同僚。しかし若者に襲いかかる凶刃は、銭形の親分によって阻まれるのだった。事が終わったあと案じてやってきた娘が登ってくるのが、上写真下段右の石段。
大師堂は同じ銭形平次の「隠密有情」でも、岸田森演じる尾張の隠密が若年寄屋敷から逃げて仲間と合流する場面に使われた。忍びたちは石段を駆け上がったところでツナギをとるが、夜回りの平次親分が八五郎とやって来たので、大師堂の縁下に隠れる。銭形の親分は、密厳堂に通じる石段を降りてくる。


金堂裏手 現代劇でも智積院が舞台となることがある。井筒和幸監督の映画・パッチギ!では、東高の番長たちがアンソンらのアリラン統一戦線に対抗すべく気炎を上げる高台が金堂裏手にある学侶墓地で、右写真と同じアングル。遠景の塔は京都タワー。番長らが助っ人に呼んだ大阪のホープ会の面々が山手の墓地の方から降りてくるアングルもある。墓地を抜ける小道は学生の抜け道で、新日吉神社の裏へ通じている。

→智積院ロケ使用例

京都市東山区東大路七条下ル東瓦町


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