川を訪ねる旅

高瀬川の源を探る

 高瀬川は豊臣秀吉の死後まもなく開削された運河である。一説に、豊臣家の財を涸らさんとした徳川家康の陰謀によって企画されたものとも言う。
始原に謎めいた因縁を持つこの川は江戸期には舟運によって京の町に富をもたらし、幕末の動乱期にはその河畔でいくたりもの血が流され、歴史を刻み込んで流れる川であった。
 陽のあるうちよりも夜更けてからのほうが賑わう歓楽街をほとりに持つ高瀬川は人の世を映し流れ、川の名は小説や歌謡曲にも散見される。

 鴨川からとられた水は開削者である角倉了以の屋敷に引き込まれ、その高瀬川源流の流れる庭は後世幾度か主を変え、いま料理屋の所有となって庶人の目に触れることとなった。
今回は高瀬川源頭となるその庭園を訪ねる。

 ■高瀬川源流庭苑

 ■高瀬川源流庭苑・詳細

 ■庭を出てからの高瀬川


京都へ

 昨晩の予報では昼から雨とのことだったが、暗いうちから降り始めている。一瞬取りやめようかとも思ったが、この日のメインは庭園撮影なので、天然の打ち水も良いかと思い直し、京阪で京都へ。終点・出町柳下車。

 鴨川右岸堤防の遊歩道を南下する。さすがに雨の日に傘をさしてまでこんなところを歩いている者はおらず、快適。
 鴨川は流れが急なので各所に堰堤がつけられている(写真上)。
京都市上京区の荒神橋付近のその堰堤のひとつから水が暗渠を通じて取られている。場所は京都地方法務局の東。流れはしばらく鴨川河川敷の緑地公園の下を流れる。水は見えないが取水口あたりでは水音が聞こえる。
 流れは対岸に平安神宮の前からの疏水が鴨川に流出するのを見るあたり・中京区の京都市職員会館の右側付近で地上に姿を現す。この水路は「みそそぎ川」と呼ばれる。鴨川沿いに軒を連ねる料亭が夏に納涼の川床を出す、あの水路である。

みそそぎ川 流出口アップ

 みそそぎ川の流れは、鴨川沿いの遊歩道より高めに導かれてゆく。これは高瀬川へ水を流すために高低差をつけてあるもの。
高瀬川へ導水する地点にはその旨を記した看板も最近設けられた。親水事業の一環ででもあろうか。

高瀬川取水堰 取水堰下の落水

 みそそぎ川に設けられた高瀬川への取水堰は、このようになっている。
金柵の向こうは旧角倉了以邸・現がんこ高瀬川二条苑の庭になっている。高瀬川の源頭は、まさにここである。
 また、手前の水はこのあと高い所を流す必要がなくなるので、カスケード状の滝となって落ち、なお「みそそぎ川」として南へ鴨川に沿って流れてゆく。
 この日の主眼はこの流れ込み先の庭園・がんこ高瀬川二条苑の庭「高瀬川源流庭苑」である。
 道を二条大橋まで戻って河川敷から上がり、日銀京都支店の東にある件の料亭へと向かう。いつものフィールドワークの格好のままなので少し気後れがしたが。 撮ってきた写真も数多いので、庭園は別項としたい。 →NEXT

撮影日 2001.3.25


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