鴨川  ■ 洛中  三条〜四条


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 三条大橋は、東海道の西端となる橋。
数多の人々が上洛の際渡った橋は、堅牢な構造に変わったが、天正の擬宝珠を残して装飾されている。
四条や五条の橋が参詣路としての性格を持つのと対照的に、三条大橋は公儀橋である。
室町期に作られて以来、近世に入って交通路としての重要度が増し、天下統一の途次にある秀吉が大橋を架けるに至った。

三条大橋 左岸上流から 三条大橋 右岸上流から
三条大橋 右岸下流から 三条大橋 左岸下流から

 三条大橋付近の右岸河原は、休日によく各種イベントが催される祝祭空間である。
三条から四条にかけての川べりには、いつとはなしに若いカップルが等間隔を開けて居並ぶ姿が見られるようになった。
その「間隔」の不思議は、時折マスコミの話題となったりする。

三条大橋から上流望 三条大橋から下流望

 三条大橋から四条にかけては、よく均され整備された河床が続き、中州の数は減る。
また、両岸もほぼ護岸がむき出しの都市河川となるが、意外や水鳥の姿は二条あたりよりも多かったりする。

 暑い時期には、川に様々な人が入る。
伝統的スタイルで鮎の友釣りをする人や、投網を打つ人を繁華街の真っ只中の三条付近で見るのも、鴨川の特徴である。
そのほか、思わず靴のまま流れに入ってしまう子らや、何やら仕掛けを築いて獲物を狙うおじさんも出る。
いずれも、百万都市の繁華な地域で見られる光景としては、世界的にも珍しいものと言える。

 鴨川の夏を代表する風物詩「床」。
これは納涼のため川端に立つ料理屋が設けるもので、右岸を流れる水路・みそそぎ川の上に作られる。
昔は、鴨川本流に床机を出して橋下で涼むという光景も見られた。
京都新聞から出ている「幕末維新 彩色の京都」には、三条大橋の下にしつらえられた台に舞妓はんが座っている写真が掲載されている。
上で一雨降れば一気に水位が上がる鴨、今でも年一回くらいは中州で騒いでいて取り残される若者がニュースになっている。

 相変わらず浅いが、砂質の河床に藻が繁茂するさまなども見受けられるようになる。
また、堰下の瀬で立った泡が消え残りだすのもこのあたりからである。季節によっては匂いが鼻をつくこともある。

四条大橋 上流側 右岸から南座を望む
四条大橋上 托鉢僧 四条大橋 下流側

 三条大橋西詰には先斗町歌舞練場が、四条大橋東詰には南座が建つ。
前者は春秋二回の「鴨川おどり」で知られ、後者の正面に「まねき」が掲げられると京の正月支度が始まる。

先斗町歌舞練場 阿国像 阿国歌舞伎発祥碑

 南座は日本最古の劇場で、四条河原の芸能を発祥とする。
鴨河原では、中世から猿楽の勧進興行などが行われてきたが、天正の頃ここでデビューした出雲阿国により遊女歌舞伎が爆発的人気を呼び、何度も禁制が出るなどの曲折を経て、現在の歌舞伎のもとが作られてゆく。


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