2005.12.27 日本テレビ/松竹
〜DRAMA COMPLEX枠、十八代目・中村勘三郎襲名記念大型時代劇
キャスト
河井継之助/中村勘三郎(十八代目) すが/稲森いずみ 安子/京野ことみ 河井代右衛門/北村和夫 貞子/淡路恵子 椰野嘉兵衛/中村育二 松蔵/荒川良々 牧野忠雅/神山繁 牧野忠恭/坂東三津五郎 小林虎三郎/佐野史郎 川島億次郎/吹越満 小山良運/火野正平 山本帯刀/田中実 牧野市右衛門/坂東弥十郎 山本勘右衛門/川辺久造 三間安右衛門/浜田晃 牧野貞直/中原丈雄 三間市之進/内田健介 大川市左衛門/梶浦昭生 外山寅太/もとのもくあ 山田方谷/石橋蓮司 古賀茶渓/串田和美 土井幾之助/笹野高史 鈴木虎太郎/中村七之助 加藤一作/中村勘太郎 平山図書/中村源左衛門 秋月悌二郎/高知東生 佐川官兵衛/六平直政 おとき/吉田日出子 稲葉隼人/伊藤英明 岩村精一郎/中村獅童 坂本竜馬/唐沢寿明
幕末、時のうねりに翻弄される越後の小藩にあって舵取りを委ねられた風雲児は、不戦の意思をもって武装中立を保とうとするが果たせず、領地は焦土と化し民を泣かせる仕儀となり、自身は身に銃弾を受け志半ばにして散る。
ロケ地
- 維新後、継サの墓、普済寺墓地。妹・安子の昔語り形式で、以降場面ごとに挿入される。その際、参道も用いられ、山門も映り込む。
- 江戸遊学、古賀塾・久敬舎、金戒光明寺永運院。下の坂を旅姿の継サが上がってくる。門が開いていて、建物が覗いている。
- 江戸・長岡藩邸、随心院薬医門。
- 長岡を望む峠、谷山林道か。
- 長岡城下の河井邸、真如堂塔頭・覚円院(去来の寺)。
- 諫言を容れられず、継サが憤然とゆく長岡城廊下、毘沙門堂宸殿前廊。後段では、本堂へ通じる回廊も出てくる。
- 友と論議のあと川で凍鶴のポーズをとる継サ、流れ橋下木津川。
- 若殿の進講を断った息子に怒り意見する継サの父、河井邸座敷は建仁寺久昌院方丈座敷。後段、庭を逍遥する場面も。
- 再びの江戸遊学に向かう継サが渡る雪の橋、流れ橋。
- 山田方谷を訪ねるため街道をゆく継サ、琵琶湖岸。
- 松代藩士・稲葉隼人と出会う雨宿りの門、摩気神社楼門。
- 備中松山藩領(岡山県高梁市)・山田方谷開墾屋敷を訪ねる継サ、隼人が出迎える農地は山室堤下(継サが来る街道は堤道)。夜、鍋を囲む方谷邸前、不明。
- 長岡、郡奉行となった継サの初仕事となる松蔵の「処刑」、毘沙門堂薬医門下。
- 藩政改革に乗り出す継サ、信濃川舟運における課税を撤廃し布告する浜、八幡掘新町浜。
- 慶応三年、大政奉還前後のイメージの二条城、本物の東大手門内外と唐門。
- 職を解かれ京を去る会津藩の一行、仁和寺参道。紅葉し、塔も映り込む。
- 慶喜が京を退去して入る大坂城、大阪城天守。
- 鳥羽伏見の戦いに幕軍敗るの報を聞いた継サが駆け入る大坂城、姫路城はの門下坂。城内廊下は亀山本徳寺回廊、大広間も。
- 江戸へ引き上げる長岡藩兵、琵琶湖岸。
- 江戸藩邸を清算して引き上げの際に、スネルが届けたガトリング砲を受け取る庭、随心院薬医門内側。
- 長岡城下、夜道で刺客に遭う継サ、随心院土塀際。
- 長岡城下、火事に遭い焼け出された小林虎三郎の寓居(「峠」では妻の実家)、酵素民家セット。
- 官軍の奥羽征伐はじまるなか進軍の会津藩兵、流れ橋。
- 長岡藩境・雪峠で衝突する官軍と会津藩、酵素か。その戦いに参加すべく進発する長岡藩辺境軍を止めに来る継サ、酵素ダート。
- 小千谷・西軍本営の慈眼寺、金戒光明寺三門。
- 官軍への嘆願が不調に終わったあと上田藩陣屋に掛け合う継サ、衛兵が固める夜の門は随心院長屋門。
- 事畢るを知り藩兵に号令する継サ、毘沙門堂薬医門下石段。
- 榎峠の戦闘、井尻。
- 長岡城下へ砲撃を加える官軍が砲台を据える信濃川河原、大堰川河川敷。
- 長岡城の攻防、彦根城天秤櫓・大手橋・観音台への橋等各所。
- 密かに兵を進める夜の八丁沖、広沢池東岸汀。
- 傷を負い戸板に乗せられ八十里峠を越える継サ、谷山林道か。
- 会津藩領塩沢村の継サ終焉の地となる宿所(「峠」では、塩沢村の医家・矢沢邸、ドラマの絵では寺院設定っぽい)、栗東阿弥陀寺。山門から本堂を望む図、座敷に寝かされた継サが門のほうを眺める図が出てくる。松蔵が荼毘のための薪を用意するのはお堂前の庭、このシーンは夜間撮影。
※CMを抜くと二時間に少し足らぬ尺にかなりたくさんの要素が詰め込まれており、陽明学と横浜の西洋商人の部分はほぼ省かれているが、山田方谷を備中松山に訪ねるくだりやガトリング砲はちゃんと描かれている。継之助の日記「塵壺」に少しだけ記述のある稲葉隼人がクローズアップされていたり、ちょっとムリっぽい坂本竜馬との邂逅なども入っている。
筆者覚書・河井継之助(超)略譜
文政10、越後長岡に河井代右衛門の長男として生まれる。天保13、元服。嘉永5、江戸遊学、斎藤拙堂・古賀謹一郎・佐久間象山に師事。嘉永6、藩主に建白書を上程、評定方付に抜擢。安政1、藩候世子への進講を拒否、訓戒処分。安政6、山田方谷を訪ね入門。同年西国歴訪。文久2、藩主の所司代辞任を進言。元治1、藩主辞職について笠間藩主に不敬、離職。慶応1、郡奉行に抜擢、改革に邁進。慶応4、藩主とともに大坂を退去。明治1、北越戦争で戦傷を受け死去。
参考文献 司馬遼太郎著「峠」(新潮文庫) 塵壺 河井継之助日記 (東洋文庫257)
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