丹波富士と称される牛松山から下る川の谷口が保津の里。集落はずれから山に分け入る道が、本能寺に信長を討つべく進発した光秀の軍が通ったルートの一つだったりして、そこここに歴史が刻まれたゆかしい里である。古寺古社や趣深い民家が残る里にある養源寺は、恵心僧都作と伝わる釈迦像を本尊とする臨済宗妙心寺派のお寺で、春徳山と号する。
前畑から山門を望む

参道
 参道脇には畑が広がる。畑から山門と地蔵堂を望む眺めがまことによい景。
家光の世を描いた大奥 華の乱の、後日談形式で本編以前の逸話を説くスペシャル「悲恋の果てに」では、家光の側室だった安子が隠棲する尼寺としてここが使われた。
導入は上写真と同じアングル、前畑で尼さんたちが野良仕事をしているロングの画面で、瑞々しい青菜の緑が美しい。

山門

 家光の死後出家した安子に、柳沢吉保重態の知らせが届く。安子の二人の「夫」を殺した男は、死を前にして懺悔したいことがあるという。
これを知らせたのは安子とともに尼として暮らす元大奥お女中の音羽、柳沢の書状を持って江戸から帰ってきた彼女が、畑にいる安子を呼ぶのが上写真右と同じアングルの門前。安子は音羽の呼びかけに応え、引き抜いた大根を掲げてみせる。
本堂大屋根 本堂階
本堂縁先から


 安子が柳沢の書状を見るくだりは、本堂座敷で撮られた。こじんまりとよく整えられた庭を映しこみ、安子の落ち着いた日常を表現する。静謐なシーンではじまるドラマは、このあとどうしようもない掛け違いで狂ってしまったむごたらしい過去を描く。

 →「大奥 華の乱」視聴記

亀岡市保津町訳目


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