明智光秀の謀反で焼かれた本能寺は、今もちゃんと京都にある。戦国の覇者・織田信長とともに炎上した天正の頃の「本能寺」は現在の場所から少し離れたところに建っていて、「元本能寺町」の地名にゆかりを残している。当時の本能寺は周囲に濠を巡らせた城郭のような建物で、京に特定の居館を持たなかった信長が宿所とした。信長が自刃した当の場所でないと知っていても、ここに佇むと歴史の息吹がひたと寄せる心持ちがする。本能寺の変が起こった6月には、「信長まつり」が催される。
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寺町通 |
総門から会館を見る |
本能寺は室町期の創建で、京都法華21本山の一。他の法華の寺と同じく幾たびも寺地を遷っている。現在地になったのは、本能寺の変直後に信長の三男・信孝が父の墓所をここに定めたことによる。右写真は信長公廟。奥には変で亡くなった諸士を列記した碑があり、森蘭丸の名も見える。
繁華な寺町通に総門を構える本能寺、廟所脇の大銀杏すら見下ろす高いビルに囲まれた、町なかの寺である。
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信長公廟脇 大銀杏 |
路地から河原町通を望む |
歴史の転換点となった大事件の故地であるこの本能寺でも、時代劇ロケが行われる。
使われるのは本堂の南に建つ塔頭群。サイズも作りもよく似た坊が立ち並ぶここは、東山二条の妙伝寺と同じく、お武家の組屋敷にぴったりの風情で、前の石畳もなかなかに効果的。
三人の凄腕浪人が悪を薙ぎ倒す痛快時代劇シリーズ「三匹が斬る!」の掉尾を飾る痛快・三匹が斬る!の中の一話「奥方借り、甲府流いじめの極意」(1995/4/20)は、方々に無理難題を押し付けやりたい放題の甲府勤番衆を退治るお話。
「三匹」の一人「千石」こと久慈慎之介(役所広司)は、甲府城下で出会った勤番侍夫婦と深く関わる。毎日さんざんな苛めに遭い落ち込む気弱な若侍を励まし戦えとけしかける千石、しかし健気な妻女が組頭に言い寄られ落命するにおよび怒り爆発、他の二匹とともにワル一掃の大立ち回りを演じ甲府を去ってゆく。本能寺の塔頭は、山流しに遭った新参者の若侍が住まう組屋敷に設定されている。「組屋敷」が出てくるのはまず、発作的にやった首吊りを失敗して伸びていた若侍・桂木精一郎(三ツ木清隆)を千石が担いで連れ帰るシーン。いつもの如く極度に腹を減らしている千石は、桂木をおぶってよたよたと石畳を来る。途中出てくるイメージカットには、石畳の上で遊ぶ子らや通行人をあしらってある。桂木の妻女・綾乃(北原佐和子)が、桂木の軟弱ぶりに苛立ち外に飛び出した千石に、夫に侍を捨てさせる覚悟だと告げるくだりでは夜景。アングルは上写真上段の西向きのみ使われる。下段写真の如く、東を見ると河原町通に建つでかいビルがたくさん入ってしまうので不適当なのである。西向きでもビルは一個入るが、当時無かったのか「消した」のか、ドラマでは映っていない。
里見浩太朗が市井に暮らす将軍の弟を演じた新・松平右近「白い花散る怨み川」(1983)では、村野武範演じる北町同心が暮らすお長屋。水戸黄門第37シリーズ「亭主参った嫁姑対決」(2007/4/23)では、松井田代官所手付の小役人が暮らすお長屋で、大胆に南側の空を映し「ビル」は消してあった。
表は寺町通のアーケード、裏はビル林立する河原町通、境内にもコンクリート建造物があるここを敢て使うだけのことはあり、各作品とも下級武士のお長屋の風情がよく出ていて印象的な映像だった。
*本能寺の「能」は火を忌んで旁を「去」と表記される。
京都市中京区寺町通御池下ル
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