時代劇ロケ地探訪 兵主大社

一の鳥居と参道 二の鳥居 楼門
 知る人ぞ知る「酷道」R477が野洲川を西に渡ってしばらく行くと、県道のほうが立派なのでつい曲がるところを間違える六条口を入り、中主中学のグラウンドの林と見えるのが兵主大社の参道である。
開基は養老年間と古く、神仏習合の名残が色濃い。社名の「つはもの」から武家の信心が篤く、頼朝や尊氏が社殿を造営したと伝わる。本殿の北にある大規模な庭園は平安期の遺構を復元したもので、国指定の名勝。
拝殿 拝殿 側面から
 拝殿は天保年間の建築で檜皮葺。鰐口に下がる緒を結わいた朱紐が目を惹く。
剣客商売「決闘・高田の馬場」の導入シーンは、ここで撮られた。幕臣の馬術鍛錬に臨席した帰り、穴八幡宮にお参りする秋山小兵衛夫婦がじゃらんと鳴らしているのが、ここの拝殿の鰐口。正面の画から側面のアングルに切り替わる。
二の鳥居 基部 二の鳥居越しに楼門
楼門 楼門 翼部アップ

 参拝を終えたおはるはお御籤を引き、出た卦を「先生ほら大吉、嬉しい!」と小兵衛に見せにくる。このシーンは楼門前で撮られた。
大吉にご満悦のおはる、失せ物必ず出ずべし・願望思いのまま・子宝遠からず授かるとのご託宣を嬉しげに読み上げ、「頑張らなくちゃ」と小兵衛を辟易させる。このとき二人がいるのは、上写真上段左の、楼門前に立つ両部鳥居の足もと。このあとカメラは鳥居をフレームにして楼門に寄ってゆき、穴八幡宮への参拝であることを語るナレーションが被さる。情景は夏祭りの準備で、お神楽のリハーサルが楼門翼部で行われているのを二人が覗きこむ。華やかなお神輿も配されている(この場面では、翼部に床が舁かれているのを効果的に用いてある)。お祭りにはまた来ようと話す夫婦、そこへ喧嘩だ・裏の林で侍同士の果し合いだと騒ぎが起こる。ここで場面は下鴨神社の林にスイッチし、お話の一方の主役となる浪人が登場する。

 穴八幡宮は早稲田に鎮座する「一陽来復」のお札で有名なやしろで、弓術の守護神として尊崇を受け流鏑馬も行われる。これはいま高田馬場流鏑馬として戸山公園で実施されている。近年復された穴八幡宮の随心門は兵主大社楼門とよく似て、あでやかな朱に彩られている。ともに武家の信仰篤いあたりも似通い、意義にかなったロケーションと言える。兵主大社楼門は天文年間のもので、県指定文化財。二層の楼に付属する翼の伸びやかな造形が美しい。

参道と拝殿

 楼門をくぐると白砂の参道が拝殿に続いている。森閑とした佇まいのここは、大河ドラマ功名が辻の初回「桶狭間」に使われた。
今川義元を討つべく集結する織田軍、その戦勝祈願が熱田神宮でなされるシーンのロケ地はここ。整然と並んだ武者たちに、舘ひろし演じる織田信長が「人間一度死なば二度とは死なぬ、此度はこの信長に命を呉れぃ」と大数珠をかざしてぶち上げる、名場面である。実際の熱田神宮はもっと大きく造作もかなり異なるのだが、ダイナミックなクレーンショットと動員人数の多さで納得の画面になっている。司馬遼太郎の原作(功名が辻ではなく国盗り物語)では、なんでもいいからとにかくたくさんの旗指物に見えるものを打ちたてよと軍令が発せられる。これは擬兵で今川軍への牽制と原作にある、その情景を彷彿とさせるには良いスケールだった。
*写真にあるテントは行事のためのもので普段はありません。

ひょうずたいしゃ
滋賀県野洲市五条( 旧中主町 )

参考文献
池波正太郎著・剣客商売「隠れ蓑」所収「決闘・高田の馬場」 新潮文庫
司馬遼太郎著・功名が辻 文春文庫
司馬遼太郎著・国盗り物語 新潮文庫

・ロケ地探訪目次 ・ロケ地探訪テキスト目次 ・ロケ地資料 ・時代劇拝見日記
・時代劇の風景トップ ・サイトトップ