伏見城は太閤秀吉が隠居所として建てた城で、諸大名が争って屋敷を構えたため、城下町も形成された。このとき、防備と水運のため巨椋池と宇治川を分離する大工事も行われた。宇治川を淀川につなぐため作られたのが淀堤、左写真は葭島の宇治川公園近くの堤で、遮るものなく山上のお城を眺められて、往時を偲ぶに良いところ。
昭和の中頃にできた遊園地には、模擬天守が建てられた。建材に朱が多く使われ、華やかな印象が強い。伏見桃山城キャッスルランドは2003年に閉鎖され遊具は撤去されたが、天守と「大手門」のゲートは市民の願いで残されて公園となっている。いま天守が建っているのは元の場所ではなくて、実際の天守は明治天皇の陵付近にあったという。
徳川おんな絵巻は諸大名の奥向きを舞台にした、いわゆる「大奥もの」ドラマで、各地のお城が登場する。松江城や浜松城のように当地に天守がある場合はそれをイメージカットに使い、あとは姫路城や彦根城を使って撮られている。これは大奥ものに限らず時代劇のおきまりだが、城跡が残っているだけのお城が舞台のときは、まるごとよその城を使った大胆な例もある。
その正義派の勘定方に御側室の力になるよう頼まれ、父とともにお城へ上がる美空ひばりのくだりは上左写真の石段。若侍に武芸で負け、渋々やって来たひばりはむくれ顔。迎えに出た伊吹吾郎の背後に、上右写真と同じアングルで天守が来る。
殿様と御側室が菩提寺に参詣するくだりには、殿様が拝む墓標の隙間からお城がのぞく趣向がある。このシーンは同じ伏見の宝塔寺で撮られていて、境内から伏見城が見えるのをうまく利用したのが面白い(現在は木が繁り過ぎて廟所からお城は見えない)。
殿様が留守にすると、老女の仕打ちは募る。身分の高いお客が来て御側室と歓談したりすると、ビキビキ青筋が立つ。その賓客の公家がお城に立ち寄るというので、配下に指令を飛ばす役人の姿が、上左写真の石垣で撮られている。
1969年に放送された子供向け30分時代劇のはやと「死神浪人」では、殿様を害す企みを持つ悪の組織と戦い終えたヒーローの「はやと」が、相棒のリキ少年とともに見上げる赤沢藩の城が伏見城天守。悪の組織「幻」と戦った野原から仰ぎ見る設定で、草の繁み越しに天守が聳える。野原と仰ぎ見のシーンは切り替えられていて、実際の撮影は天守際だと思うが、上左写真のような感じに見えている。この写真は宇治川堤から望遠で撮ったもの、草の間に垣間見えるのは近鉄京都線の鉄橋。赤沢城の設定は、関東か信州か不明。 ここまでの写真は閉鎖中に囲いの外から撮ったものや、公園として再開して間もなくのもの。2007年秋には、東映が映画撮影のため費用を出しての改修が行われた。以下は改修後の様子。 鯱や破風は金色に、高欄は朱も鮮やかに塗り直され、外壁には装飾金具が取り付けられた。改修のきっかけとなった映画茶々 天涯の貴妃では大坂城として、現在の大阪城の櫓や大手門と併せて使われた。以降、寧々 おんな太閤記でも大坂城として登場する。 そして現在、「大坂城」の装飾ははずされ、元の赤いお城に戻されている。
京都市伏見区桃山町大蔵 |