浄土真宗中興の祖・蓮如上人が室町の終わり頃山科の地に建立した「本願寺」は、濠をめぐらせ土塁を築き広壮な寺内町を形成していたが、天文法華の乱により消滅。教団の拠点は石山本願寺に移り、以降この地に施設はなかったが、蓮如上人の御廟が鎮まるゆかりから江戸期にお堂が建てられた。これが山科別院で、浄土真宗本願寺派聖水山舞楽寺と号し「西御坊」の通称で親しまれる。 山科別院は繁華な市街地にあり、山科川と四宮川が合わさるデルタに建つ。二本の川は三面張りの都市河川で掘割にも見え、そのかみ濠をめぐらせていたと伝わる山科本願寺の面影を偲ぶことができる。
正門前には四宮川が流れ、土手の緩い坂に石畳が敷かれていて橋を渡ってゆく。この橋は最近架け替えられたが、それについてはあとで。 正門は市川團十郎が水戸光圀を演じた天下の副将軍 水戸光圀で、若き光圀が義民を助けるくだりに使われた。佐倉領の名主・宗五郎が駕籠訴におよぶ老中・松平伊豆守屋敷の場面、石橋蓮司演じる宗五郎は竹に挟んだ訴状を持って橋たもとに潜む。門前の道を老中の駕籠がやって来て、宗五郎は橋を走り抜け願いを叫ぶが取り押さえられ、伊豆守の駕籠は門内に吸い込まれ扉は閉じられてしまう。山科別院のシーンはここで終わるが、失敗にめげぬ宗五郎は光圀の助けで遂に将軍へ直訴におよぶのだった。
正門前の橋に立ち左右を眺めたのが上二葉。左写真で塀の上に顔を出しているのは鐘楼、右写真奥は北門。
正門前の橋は現在欄干が金属製になっているが、ロケに使われた当時は石橋だった。四宮川を撮った手持ちの写真にも、不鮮明ながら石橋が写っている。上二葉を比較すると、橋ばかりでなく護岸や植生にも変化が見てとれる。 橋というものはその性質上風景のうちでも失われやすく、各地で昔のものが消えてゆく傾向にある。架け替えにもそれぞれに事情があり、ただ惜しむことしかできないが、ここ山科別院には有難いことにもう一つ「門前の橋」があり、石造りのまま残されている。その石橋は在りし日の正門前を偲ばせてくれるほか、そこ自体が大昔に撮られたドラマの舞台でもあり、なかなかに貴重な物件なのである。
大川橋蔵の銭形平次「おぼろ駕籠」は、シリーズ名物のお品親分が登場するお話で、彼女が夜道で不審な駕籠を見たことから事件が発覚する。その駕籠からは着物の袖がだらりと垂れていて、中には縛られた若い娘が乗せられているのだった。しかも人を呼んで現場に戻ってみると駕籠は忽然と消えていて、謎は深まる。このシーンは北門前で撮られていて、現場検証の際には川へおりる階も効果的に使われる。設定は劇中「三間堀」と聞きとったが、あるいは京橋の三十三間堀のことかもしれない。
北門続きの塀から頭を出しているのは太鼓堂、鐘楼の頂がのぞく正門と眺めが似ている。 燃えよ剣「壬生・星あかり」は、新選組屯所が壬生から西本願寺へ移るエピソードの回。巡察隊が橋を渡って塀際を行進するシーンが出てくる。西本願寺屯所設定なので、堀川になぞらえてのロケと思われる。
本堂には源信僧都作と伝わる御本尊・阿弥陀如来が、中宗堂には蓮如上人が手ずから刻まれたという木像が祀られている。観光寺院ではないので、広々とした境内はいつも静か。お休みの日には、ボーイスカウトのお子たちで賑わう。 銭形平次 第211話「おぼろ駕籠」 1970/5/20 京都市山科区東野狐藪町 |