金蔵寺は、元正帝の勅願により養老年間につくられた天台の寺。応仁の乱の兵火に遭い、いまは桂昌院の寄進により復された堂宇が残る。堀川の八百屋の娘だった五代将軍・徳川綱吉の母は、幼き日にここや善峯寺に参詣したと伝わる。境内には「お玉」さまの髪を納めた御廟所があるほか、提灯の紋所も三ツ葉葵なのである。
金蔵寺は山寺、えっちらおっちら登ってゆく坂の果てにある。ハイカーには「ポンポン山コース」として著名な東海自然歩道のルート上にあり、山気を吸った紅葉の見事さでも知られる。標高300mを優に越す境内端の見晴らし台からは、叡山から巨椋池干拓地まで京の町が一望される。上写真右の真ん中付近にすーっと立つ白い筋が京都タワー、目のいい人なら清水さんの堂塔や伏見城などもすぐに見つけられる。京セラのビルあたりは眼下に望まれる。また、参道の下方には姿美しい段瀑・産の滝が涼しげな瀬音を響かせていて見もの(→参考/岩倉川)。
山門は丹も鮮やかな仁王門。ここが入口だが無人で、入山料志納の記載がある賽銭箱が置いてある。目安の金額は書いてあって、ちょっと意地悪く観察していたが、皆ちゃんと財布を出してお金を投じていた。まだ捨てたもんでない…ちゃりんと音がする額のものを入れた奴が偉そうに言うことではナイが。 山門や参道もロケに使われた現場だが、お話が前後するので後述。石段脇の垣根も、撮影当時の風情を残している。
金蔵寺ロケでもっとも印象的なのは、この護摩堂。正面扉の両脇に花頭窓を持ち頂部に宝珠をいただく方形のお堂で、参道石段を登りきった右手に建つ。前は広く開けていて、西には方丈、北には本堂へ通じる石段がある。 ここは、大川橋蔵のテレビシリーズ・銭形平次の初期に使われた。 護摩堂では、銭形平次第37話「十手飛脚」の大立ち回りが撮られた。正体を現した悪党は、ずいと護摩堂縁先に立ち平次を見下ろす。このあとお堂前で殺陣が繰り広げられ、めまぐるしい動きの背景に方丈の玄関や枝垂れ桜など境内のあちこちが映り込む。投げ銭も効かぬ強敵との対決で、迫力満点。このお話での設定は伊豆網代のお寺。
上写真下段左は山門から続く石段を登りきったところを見返ったもの。「節分の女」のお芳はここから登ってくる。札差殺しの容疑者の彼女を尾行して、お品親分と下っ引の太吉が次いで登ってくる。彼らは上写真下段右の鐘楼裏に隠れ、お芳を窺う。
謀りごとがバレるのを恐れた悪党は、己が陥れた者を消しにかかる。もちろん銭型の親分が現れて大立ち回りとなるのだが、病みやつれていた「情夫」はせめて一太刀との思いも叶わず、斬られ力尽きて果てる。平次が乗り出したことで観念したお芳は自刃、もはや事切れた情夫ににじり寄ってゆく。最期の息で「夫」の手を求めるシーンは、本堂前で撮られた。あと一息で届かなかったその手を、平次が重ねてやる、お決まりの情話がなかなかに泣かせる。 銭形平次 第37話「十手飛脚」 1967年1月11日放送 京都市西京区大原野石作町 |