時代劇ロケ地探訪
■ 等持院 暦応4(1341)、足利尊氏によって創始された古刹で、庭は夢窓国師の手になる。庭の一隅に尊氏公の墓と伝わる宝筐印塔があるほか、霊光殿には歴代足利将軍の木像を祀る。この木像は幕末、徳川家への面当てに首を斬り晒すという事件に巻き込まれた。また、大正期には境内にマキノ省三が撮影所を建てたこともある。 |
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書院から見た方丈 | 方丈南縁から前庭 |
ここは、2005年正月の長尺ドラマ国盗り物語で、当の等持院として使われた。この頃の足利将軍家の権威は見る影もなく衰えており、13代将軍の義輝は居館を持てず等持院に仮寓していた、と原作にある。 こうした背景のもと、越前朝倉家と足利将軍との仲介をつとめている光秀の働きを愛でた将軍・義輝は、彼に拝謁を許し佩刀を下賜する。この際、奏者番の細川藤孝が光秀を呼びにくるシーンで、開け放たれた方丈の座敷にいる光秀を北側から映し、カメラが寄ってゆき室内に移動すると南の庭が背景になるという趣向。 義輝に「直参と思う」とまで言われた光秀はむろんこの上なく感激し涙にくれるが、このあと程なく義輝将軍は松永弾正によって弑逆されてしまうのだった。 |
京都市北区等持院北町 |
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