時代劇の風景  ロケ地探訪

摩気

− 摩気橋 −

南から・上流寄り 南から・下流寄り
 摩気橋は園部川中流部に架かる、摩気神社参道となる橋。
平成五年の架け替えの際以前木製だった橋脚はコンクリートのものに変わったが、デザインは他の新橋のようではなく景観に配慮したものとなっている。残念なことにやはり以前の風情は損なわれているが、今もさまざまな工夫を凝らして使われている。橋桁や欄干は元の通りの木製で、早や古びた風情となっている。右岸側には真新しい家があるので、里を一緒に映す場合は南からの撮りが多い。橋北詰には後述する民家が建ち、遠景によく映りこんでいる。
上流側・右岸堤から 上流側・南から
上流側・南たもとから 上流側・左岸河原から
 橋は流れ橋でもそうだが、街道筋の点景として使われることが多い。
新必殺仕舞人「会津磐梯山涙の嫁入り」などはラストの旅立ちのシーンに使われた典型例と言えよう。
鬼平犯科帳「血頭の丹兵衛」で使われた際も宿場はずれの小橋であった。「盗法秘伝」でも東海道の宿はずれの村の橋、「女賊」でも東海道岡部宿の橋として使われた。鬼平では摩気橋がよく使われる。シリーズ半ばくらいまでは以前の木製の橋脚が映っており、貴重な資料とも言える。
派手な使用例では、大川橋蔵が剣豪を演じた決闘鍵屋の辻 荒木又右衛門においての死闘の橋がある。この橋を渡れば伊賀城下という、鍵屋の「辻」が演出されたもので、橋の南側に森と、遠景には書割のお城が控えている。
橋上・南から 橋上・南から
下流側・南たもとから 下流側・右岸堤から
 現在の姿をそのまま使う例もあるが、一工夫して覆いをかけたりする例もある。
壬生義士伝(渡辺謙主演・TV版)では吉村貫一郎の故郷・南部盛岡の北上川に架かる夕顔瀬橋として使われたが、木で大きな覆いをかけてあった。この作では青年時代の主人公が河原で好きな女について友人と語る場面などにも使われるので、橋脚が大写しになるシーンもあり、少し違和感がないでもないが、無難な線でもあろう。
痛快!三匹のご隠居「一升飯を食う女」では水門の普請が行われているという設定で使われ、橋脚には莚が多数ぶら下げられていた。多用できる手ではないがなかなか鋭い着眼点と言える。
鬼平犯科帳「墨斗の孫八」」では橋上のシーンと共に堤と河原も使われている。手下に裏切られた老盗が、通りかかった鬼平の密偵・おまさと一緒に堤から河原へ転げ落ちるシーンがそれで、上写真下左の斜めに川へ下りる道がうっすら見える付近で撮られた。
鬼平ではほかに「一寸の虫」での使用例が印象的である。鬼平に心酔し忠誠を尽くす密偵・仁三郎は、同じく尊敬し感謝している泥棒だった頃のおかしらへの思いとの板ばさみとなり苦衷するが、遂に己の命を天に任せ一人敵地に向かう。この際渡る橋が摩気橋で、娘・おみのの歌っていた数え歌を鼻歌に口ずさみつつ死地に赴くのだが、飄々としたその演技が大いに見せる渋い火野正平なのであった。
橋脚 橋桁の底面 河原から見上げ 橋標
交通標識の根方 欄干越しに民家 橋たもとの石灯籠 河原から

 上には様々なアングルと周囲の施設を挙げてみた。交通標識は写真にあるように、いつでもすぽっと抜けるようになっている。橋脚はやはりそばに寄るとどうしようもないが、いつの日か再度の架橋ある際はまた違った工夫を望みたいものである。橋南詰にある石灯籠は変わった形で、原石をそのまま組んである。寡聞にして使用例には当たらないが、つくりものの石灯籠で同じデザインのものはときどきよその川堤などに置いて使われているのを見る。

 園部川を主体として撮る例もある。鬼麿斬人剣では橋下で連れの少年と水浴びをする鬼麿のシーンがあり、橋は映るものの川がメインとなっていた。水戸黄門31「お娟にぞっこん!親父と息子」では老公に水をかけたいたずら餓鬼をお娟が追いかける川に使われた。この際には橋は映っていない。

摩気神社から来る小川の流れ込みから
 橋南詰には摩気神社のほうから来る小川が園部川に流入する。この小川のため堤は一部切れていて、V字に開いた形が見える。
ここから鬼平犯科帳エンディングの「初夏・野分」が撮られた。叩きつけるように降る俄か雨のシーンで、紫陽花の青が花を添えている。
これには今ひとつ別のアングルがあり、こちらは上流側南詰から見たもので、驟雨のなか急いで家路につく江戸の市民が配されている。
いずれも橋脚は木製の頃のもの。

摩気 表紙

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