時代劇ロケ地探訪
八木町山室地区の農道から水害防備林と対岸の山なみを望む
右が上流側(北)、左が下流側(南)
吉野川や久慈川などに今も残る、緑の堤防・竹林等の植栽による水害防備林は、近代以前の水防の知恵の産物で、根を張らせることにより堤を強化し洪水流のバッファとなる役割を果たしてきた。 京都府南丹市八木町のJR山陰本線吉冨駅の東方、山間部を抜けてきた大堰川(淀川支流・桂川の上部称)が、Y字を描いて園部川と合流し床谷河川を呈する左岸側に、長大な竹林の水害防備林が残されている。竹林は堤外地に、耕作地は堤内地にあり、田畑に立って川の方を望むと堤の向こうに竹林が壁の如く連なり、遠景に対岸の山なみを眺めるというパノラマが展開する。今となっては街並みを描くより困難な、近代以前の野原がそこにある。 その地は八木町山室、大堰川に西を遮られ、城山〜筏森山の山なみが東を固めるごく狭い地域である。集落は水が来るせいなのだろう、山裾に集中し、農地は段丘の下に広がる。竹林の向こうの対岸には国道九号線や京都縦貫道が通じ、昼夜問わず車がびゅんびゅん走っているなど想像できるだろうか。 ここが時代劇の風景に使用される例は、けっこう多い。使い方は地方の街道筋、というものが目立つ。曰く、旅の途上にある素浪人がてくてく歩く道、曰く、危急を知らせる早馬が疾駆する街道。堤の上の道、すぐ下の道、いずれもまことに絵になる風景である。江戸期の風景に擬されるほか、戦国期の在所の野や街道筋にも用いられる。 雲霧仁左衛門(1996CX・山崎努版)第四話「川止め」では、上の写真とほぼ同アングルで、東海道・島田宿から江戸の火盗改へ盗賊現るの報を告げに早馬が疾走するシーンに使われた。堤上を早馬が走り、堤下の心持ち湾曲した道を旅人が歩いていた。左手の施設はドラマでは映っていなかった。くっきり刻まれた轍はそのまま映っていた。 山室の使用例で忘れてはならないのは盤嶽の一生で、オープニングにも劇中にもエンディングにもさまざまなアングルで使われている。その印象的な画は素晴らしく、ロケ地として山室を語るとき欠かせないものとなるだろう。 上右の写真は、堤と竹林の間に立ち北方を眺めたもの。山室では堤を両側から使えるので応用範囲が広い。 堤には農地から上がる道が幾つか付けられているが、堤が高いため直登ではなく斜めに登るようになっている。左右に振り分けられたY字の分岐道は、画面によく映える。堤上に木が生えている個所もあり、この木が効果的に使われる。 八丁堀捕物ばなし「大盗賊」では、藤沢へ帰るかつての大盗・丑三の半兵衛とついてゆく藤吉を見送る狩谷新八郎の姿がある。第二シリーズの「用心棒」では、寺尾聡の「武蔵」を見送る狩谷と杉山兄弟の姿が見られる。このときは、堤上の木の傍に茶店がセットされていた。御家人斬九郎でも、同様に街道筋として使われた例がある。「待ちぼうけの女」がそれで、甲州へ岡場所を焼け出された女を送ってゆく甲州街道として使われた。斬九郎らが休む茶店が、堤へ上がる道の中ほどにセットされている。遠景には富士山が合成されていた。このあと女を騙した小悪党の腹巻を切り裂き小判がじゃらん、という街道筋のシーンは堤上で撮られた。 Y字になっている分岐がよく映えるかたちで使われた例は盤嶽の一生「じゃじゃ馬馴らし」で、寺尾聡の僧に騙される盤嶽のシーンが冒頭とラストにある。ラストは性懲りも無く再び騙された盤嶽が怒って抜刀し僧を追い掛け回すコミカルなさまが、コマ落としで表現されている。同じく盤嶽の「男と女」では、弁当の礼に畑を耕す盤嶽の姿が堤下の農地に見られる。 殿様風来坊隠れ旅最終回では、尾張候の妹姫が水戸の殿様に馬を騙し取られていたり、再び出奔し東海道をゆくハルさんこと紀州大納言・徳川治貞と、ムネさんこと尾張大納言・徳川宗睦の姿が堤上に見られる。バックには富士山が合成されていた。
上の写真はいずれも、山室の防備林を桂川を挟んで対岸から見たもの。鳥羽と八木ノ島は1kmほど離れているが見える景色はほぼ同じ、竹林越しになだらかな筏森山が頭を出している。 *建物等の無い自然物のうえ川は改変を受け易いので絶対的な確信はありません。 |