時代劇の風景  ロケ地探訪

嵐山の大堰

渡月橋から大堰
 この堰は「一の井堰」といい、五世紀後半に帰化人の秦氏によって造られたものと伝えられている。葛野大堰ともいう。この下で川は桂川と名を変える。
現在のものは昭和40年に改修されたものだが、材質に木を用いるなど細やかな配慮がなされ、近畿で最も美しい堰と言われる。
ここで堰かれた水は洛西の野を潤す桂川用水となる。また、左岸からは江戸期に開削された西高瀬川が導かれている。
堰の上の嵐峡では、毎年五月に車折神社(くるまざきじんじゃ)の三船祭が催され、竜頭鷁首(りゅうとうげきす)の船が行き交い平安王朝さながらの光景が繰り広げられる。
左岸から 左岸側魚道
真横から 堰上から杭を見る
 ここをロケに使った印象的な例は必殺シリーズの「必殺からくり人血風篇」で、時は幕末、舞台は品川宿。この近くの岸辺を大森浜に擬してのカットもある。堰は、玉ころがしの直次郎が幼馴染の死体が幾つも流れ着き堰に引っ掛かるのを下流に放りながら官軍の密偵で今は仲間の土左ヱ門に毒づくシーンで使われていた。
右岸から 右岸側魚道
 新必殺からくり人東海道五十三次殺し旅「庄野」では窮地に陥り恋人にも裏切られた庄野宿本陣の娘・おるいが絶望の果て堰上を歩くというシーンで使われた。入水かと思いきや、ワルの手下が後ろからやって来ておるいを堰下に突き落とすという荒っぽい展開となる。また、落とされた先がなんと魚道で、からくり人の蘭兵衛(高野長英の仮の姿)が飛び込んで助けるのだが撮りは夜で、かなり危険を伴うものである。
同シリーズ「戸塚」では鎌倉・東慶寺に駆け込んだ筈が騙され、その後心中した死体が杭に引っ掛かって見つかる、という場面でも使用された。
新必殺仕置人「濡衣無用」では庚申の月蔵が大川に流されつかまる杭、という場面で用いられた。
大堰の木杭
三船祭りに備え係留されている船

京都府京都市右京区茫ノ馬場町−中ノ島町間

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