時代劇の風景  ロケ地探訪

近江八幡

水郷めぐりの船

 琵琶湖北湖に半島のように突き出した特徴のある翼を広げたような山なみ、そのひとつ八幡山に天正13年、太閤秀吉の甥・豊臣秀次が城を築いたことに近江八幡の町ははじまる。その折に作られた掘割・八幡掘は湖上舟運の中継地として以後の町の発展に重要な役割を果たした。
この堀は西の湖という琵琶湖最大の内湖から来る。西の湖は安土水郷地帯の名残を今に伝える貴重なハビタットであると同時に水郷めぐりの手漕ぎ船がひっきりなしに行き交う観光スポットである。

 八幡堀周辺はよく昔日の面影を残し、時代劇においては東洋のヴェネチア・深川の水景に擬して使われることが多い。水郷も大川端の景色に擬しての使用など江戸の風情を醸し出すよき空間として貴重なものである。
太秦からは遠いのにけっこうな頻度で使われるのは、やはり得難い水景であることの証左であろう。

八幡掘 水郷

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