時代劇の風景  ロケ地探訪

知恩院

三門遠望 御影堂
 円山公園の北、広大な寺域を持つ「華頂山」知恩院は法然上人が草庵を結んだ地に建つ。
布教の拠点となった小さな方丈は、上人の死後巨刹となり日本一の三門と梵鐘を持つに至る。
徳川氏の帰依篤く、そのゆかりから有事の際の軍事拠点としての役割を付与されたと言われ、黒谷とここで粟田口を守護する城郭としての姿も垣間見える。
御影堂外廊下
 御影堂は大島渚監督の御法度で新撰組屯所として使われた。その頃の屯所は西本願寺であるから、同じ巨刹の知恩院使用はなかなかハマっている。御影堂廊下をゆく主人公の美少年の姿はなかなかサマになっていたが、トミーズ雅の大きな顔も重厚な扉とけっこう調和していた。この映画は、美術監督・西岡善信氏が監督の「史実通りに」という要請によく応えた、たいへん凝ったセットが見ものである。
 鴎外の名作を映像化した阿部一族(1995)では、外廊下が熊本城として使われている。
御影堂から阿弥陀堂への渡廊 渡廊下の石畳
 渡廊は天下の副将軍水戸光圀で、佐倉の名主・宗五郎が上野寛永寺にお成りの将軍に直訴するシーンで使われた。幼い将軍が廊下の中ほどに差し掛かったとき、助さん格さんに助けられ走り寄る宗五郎の願いは光圀の助言もあり聞き届けられる。この際訴人の宗五郎は廊下の石畳上で取り押さえられているが、必死の形相の宗五郎を石橋蓮司が好演している。
 忠臣蔵 決断の時では、吉良さまのイジメに遭う内匠頭が衣装違いに気付くシーンで使われている。
黒門 黒門道
北門 北門 内側
 先に述べた城塞としての知恩院の顔が見て取れる一角が、ここ黒門付近である。黒門道の石段など、城だと言われて見せられれば全く違和感も無い。
黒門は三門の北・青蓮院との間にある。曲がった石段を登り詰めると、北門をくぐって大庫裏へ至る道である。
 喧嘩屋右近III「女房の取り返し方教えます」では黒門が江戸城平河門に、北門が大奥御広敷御門として使われた。上様に見初められた人妻を右近夫婦が奪取するというどたばたが展開されるコメディで、杉さま大活躍の楽しい話である。
暴れん坊将軍でも北門が江戸城大手に、葵の暴れん坊では大坂城代屋敷に使われた。
三門 三門下から男坂の石段を見上げる
 三門は、スケールが大きすぎるゆえ使用例は多くない。
時代劇とは少し離れるが、ハリウッド映画ラスト・サムライにおいて使われたことで有名。冒頭、オールグレン大尉がミカドに会いにゆくシーンである。段上部になにやら楼閣様の建物が合成されていたが、すっきりと整った知恩院参道の清しさはよく出ていた。ラストサムライでは他にも、勝元がミカドに意見を言上するくだりで本堂脇の渡廊も使われた。
篠田正浩監督の映画梟の城でも三門と男坂が使われているが、これは現地設定であるかもしれない。

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