時代劇の風景  ロケ地探訪

奈良

朱雀門・若草山・新薬師寺・柳生の里・薬師寺・慈光院・橘寺・飛鳥の里・曽爾高原

 奈良で時代劇が撮られる例はさほど多くないが得難い素材があり、画にこだわる映画によく使われる。
このほか柳生や飛鳥などが現地設定で使われる例もある。
★奈良県時代劇ロケ使用例一覧


■ 平城京跡

 佐紀の野に残る奈良時代の宮跡は大極殿基壇があるくらいのだだっ広い芝地であったが、1998年に朱雀門が復元された。
材に国産の檜を使い、出土品から復元した瓦を焼き、柱はヤリ鉋で仕上げてある見事なもので、竹中工務店の施工になる。
その優美な姿は、二条大路からも近鉄の車窓からもよく目立つ。

 この朱雀門は、映画陰陽師において平安京朱雀門として使われた。
陰陽師としての腕前を試され鮮やかに切り抜けた安倍晴明が、源博雅に「呪」とは何かを説きつつ都大路をゆくシーンで、彼らの背後に丹の色も鮮やかな朱雀門が誇らしげに映りこんでいる。広くとられた南側の空間も、物売りなどの民衆を配し絶大な効果を上げている。劇中、両翼に見える楼閣や築地は合成。

奈良市佐紀町


■ 若草山

 若草山は東大寺の東にあたる、優しい円いなりをした芝草の山。三重に重なる姿から三笠山の称もある。使われるのは、遠足の子らで賑わい鹿がのんびりと草を食む西面ではなく、山中に分け入ったところ。

奈良市南郊から 正倉院脇から
春日山原生林 奈良の市街地が映らないように山頂近くで、派手なアクションシーンが撮られる。
RED SHADOW赤影でも、子連れ狼 その小さき手にでも、合戦の場面である。子連れ狼では火を使っての大立ち回りが行われている。赤影では少年忍者たちの訓練シーンで春日山原生林(写真左)も使われている。
奈良市雑司町

■ 新薬師寺

 奈良公園の南、文豪たちのサロンがあった高畑にある古寺。夫帝の平癒を祈願した光明子によって開基されたと伝わる。天平時代のまま残る本堂には、本尊と眷属の十二神将がずらりと並ぶ内陣があり、その躍動美は圧巻。

盛りの萩と本堂 本堂西側・入口の几帳
東門  鎌倉初期・重文

 今昔物語「近江国ノ安義橋ノ鬼、人ヲ喰ラフ話」を基にした早川光監督のアギ 鬼神の怒りは、中世の空気をよく呼吸する映画。
国主の屋形等スタジオセットもよくできているが、ロケも凝っている。鬼の出る安義橋に流れ橋を効果的に用いるほか、宇治上神社が屋形に使われる。そしてここ新薬師寺の東門は、夜の安義橋で鬼女に遭遇し命からがら家に逃げ帰ってくる太郎のシーンで使われた。画面の中の東門を見るとなるほどと納得、水干姿の益岡徹が縋りつく門は、大覚寺や相国寺のそれでは中世の侍屋敷にはならない。新薬師寺でいただくパンフレットの東門の説明には「被衣姿の女性が出入りするに相応しい」とあり、ここをロケ地に選定なさった監督の慧眼に感服してしまうのである。

奈良市高畑福井町


■ 柳生の里

二階笠 三笠山の向こう、奈良市街地の東方にある小盆地が柳生の里。戦国末期、柳生石舟斎により創始された柳生新陰流は、その子・宗矩が将軍家指南役となり大目付にまで登りつめたことにより御留流として隆盛を極めた。宗矩の子・十兵衛は闊達な剣豪として名を馳せ、この柳生三代は時代劇の常連である。
左写真は家老屋敷展示物の長持・紋は柳生家の定紋「二階笠」

家老屋敷 家老屋敷・長屋門
芳徳禅寺 山門 柳生一族の墓

正木坂道場 柳生の里は1971年の大河ドラマ・春の坂道により一躍脚光を浴びた。のちのヨロキンである中村錦之助が柳生宗矩を演じたこのドラマは、上写真にある家老屋敷を所有していた作家・山岡壮八氏によって書かれたもので、構想はこの屋敷で練られたという。その屋敷や里も、ロケに使われた。現在奈良市の管理になる家老屋敷には、累代の品のほか大河ドラマ関連の資料も展示されている。
大河ドラマ放映時の熱狂的なブームは去り今は落ち着いた雰囲気の鄙びた里であるが、ハイカーや歴史愛好家が訪れる人気スポットで、ロケに使われることはないものの、柳生一族が登場するドラマでは家老屋敷や菩提寺がイメージカットとして映し出される。芳徳寺の山門はよく使われるが、この寺の一世の住職は「烈堂」、俗世の名は義仙という宗矩の息子で、十兵衛三厳や宗春の年の離れた弟である。お寺の裏には柳生一族の眠る墓所があり、宗矩の墓標の脇に父・石舟斎や母・春桃御前のそれが並び、前列を息子の十兵衛や宗冬が占める。
このような史跡や、剣豪の名を冠した里の茶店や、ドラマに因んだ美酒を醸す造り酒屋なども、時代劇好きにはたまらない魅力なのである。芳徳寺の下にある正木坂道場は今も剣道家が集う生きた施設で、式台玄関の豪壮さは柳生の剣を偲ぶよすがとなる。

奈良市柳生町


■ 薬師寺

 西ノ京の風景のシンボル・薬師寺。風雪に耐えた「凍れる音楽」東塔のある白鳳伽藍は、復元された金堂と西塔が揃い華やいでいる。
周囲には整然と回廊がめぐり、境内はゆったりと広い。

東塔・金堂・西塔 回廊
 2005年正月の古代史ドラマ大化改新では、白鳳伽藍が飛鳥寺(法興寺)として使われた。
唐の大使接待の場面や、山背大兄皇子にまみえる鎌足のくだりに中門や回廊が見えるほか、蹴鞠に興じる中大兄皇子の沓を拾う鎌足の有名なシーンは金堂の東の広い境内。いずれも、丹もあでやかなしつらえがよく飛鳥朝の風景を表現している。
 古代でなく近世が舞台のドラマに使われることもある。高橋英樹主演の決闘鍵屋の辻 荒木又右衛門では、大坂を発った仇・又五郎一行を追う際立ち寄る、当の薬師寺として出てくる。金堂に参拝のシーンがある。
奈良市西ノ京町

■ 慈光院

 戦国武将・片桐氏ゆかりの寺で、開祖は石州流茶道の祖である。少し南に行くと斑鳩の里、という丘に建つ。
庭からは青垣の山なみが一望でき、この借景を満喫する意図で、ダイナミックな大刈り込み以外は灯籠すら置かれていない。
庭を眺める書院に座すと、お薄と茶菓(紋を象った押し物・旨)が運ばれてくる。まことに贅沢な一時である。

書院から庭を見る 大刈り込み
山門 書院 床の間

 書院と大刈り込みは篠田正浩監督の鑓の権三で、松江の浅香市之進邸として使われた。
笹野権三がおさゐに伝授を受け、川側伴之丞に争うシルエットを不義とされてしまう、あの数奇屋がこの書院である。川側役の火野正平がこそこそと現れるのが大刈り込みの陰から、そこには石灯篭がセットされている。樽を押し込んで通路とする生垣は他の場所の模様、またフィルムをよく見ると書院床の間とは酷似しているものの微妙に寸法が違うので、ここをなぞったセットと思われる。
同監督の梟の城では、堺の豪商・今井宗久の屋敷として出てくる。庭のほか、萱葺きの山門も使われている。

大和郡山市小泉町


■ 橘寺

 橘寺は明日香村の中心にあり、聖徳太子生誕地と伝わる古寺。
向かいには川原寺跡があり、傍らを飛鳥川が流れている。少し小高い位置に建ち、北塀の前には段畑が広がる。

川原寺との境の道から全景
橘寺 北塀越し 畑に湖面を合成

 ここは、北側から寺全体を眺めるアングルが使われる。但し北の畑地を「消して」水面が合成されているので、よく飛鳥を知る者でもすぐには判らない。
写真右下では、ドラマにならい水面を貼り付けた。船は近江・西の湖の水郷めぐりのものを配してみた。
使われたのは藤田まこと版剣客商売で、秋山小兵衛が対岸に船を出すシーン。幾つか異なった構成の画が使われる。水景は大川端、寺は小兵衛隠宅近くの木母寺でもイメージされたものであろうか。
鬼平犯科帳第9シリーズでもこの手法が使われている。この際には、橘寺と道を挟んで向かいにある川原寺に水面を合成した画も見られる。

高市郡明日香村橘


■ 飛鳥の里

 6世紀から7世紀にかけて政治の中心地だった飛鳥。いにしえの官衙はとうに失われ、田んぼの中に礎石を残すのみだが、古代の香りを求めての観光客がひきもきらない。
飛鳥大仏や石舞台などいつも賑わうスポットを離れると、「里の飛鳥」が見える。

棚田
セットの村を見上げる 井戸
車持氏の家 中臣家
 万葉の歌枕として名高い飛鳥川が山から出て冬野川と会う谷口には、棚田が残されている。日本各地から失われつつある風景が、様々な工夫と努力により維持されていることに感謝したい。
 この地を舞台とする歴史ドラマ・大化の改新では、その棚田がある飛鳥の奥地にオープンセットを組んでの撮影が行われた。場所は丘の上で、峠道のかたわら。山向こうには、ドラマに登場する南淵請安の故地があるのも興味深い。
このセットは西岡善信氏の手になるもので、それぞれに趣きの異なるかたちをしている。登呂遺跡の復元模型に似たものや、秋山小兵衛の家や隠し剣鬼の爪のセットにどこか似通った風情のものもある。内部は、中臣家のみ作りこまれている。
 セットの設定は、この時点では弱小氏族の拝み屋・中臣家の在所で、若き鎌足が幼馴染の車持氏の女・与志古に蘇我氏の嫡男・入鹿の誘いを伝えにくるくだりに使われた。井戸の前あたりで、与志古と鎌足がポンポン言い合うシーンなどもある。
衣装このドラマは鎌足と入鹿が幼馴染の親友という斬新な筋立てで、彼らの青春と歴史的大事件をからめてお話が展開する。ふだんあまり馴染みの無い上代のドラマだが、よき背景と丁寧に作られた衣装が見る者を古代に引き込んでゆく(記事中の写真は犬養万葉記念館に展示されていた、実際にドラマで使われた衣装。左から車持与志古、中臣鎌足、宝皇女。中の人はマネキン)
 現地には三軒の家のほか井戸など小物も残っているが、伏屋等の一部はなくなっている。ここからは盆地の眺望が素晴らしく、ドラマでも青い山なみや秀麗な畝傍山が映りこむ。古代飛鳥の里からも見えた三山を使うことで、説得力の高い画となっている。
高市郡明日香村栗原

■ 曽爾高原

 曽爾高原は、山ひとつ向こうはもう三重県となる奥地にある。その峠の下に広がる広大なススキ原が曽爾高原で、風と葉ずれの音しか聞こえない異空間が多数のハイカーに愛され、季節にはラッシュ状態となる。原からは青蓮寺川の谷を挟んで、室生火山群の特異な山容が望まれる。

鎧岳 ススキ原

 ここは七右衛門の首で、三輪軍と禿(かむろ)軍の会戦の原として使われた。
ススキ原では、石橋蓮司が南原清隆と取っ組み合いを繰り広げ、レンジおじさんは谷底へ転げ落ちて行く。
鎧岳は、タイトルバックにどーんと雄姿を見せている。

宇陀郡曽爾村

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