出雲大神宮 平の沢池 保津小橋 篠八幡宮 穴太寺 廣峯神社 園部城址 琴滝
山室堤や摩気橋など比較的よく使われる場所のほか、丹波高原に散在する古寺古社旧跡が時おり時代劇の舞台となる。 頻出スポットと同様、旅ものでの使用例が圧倒的に多い。 |
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■ 出雲大神宮 |
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近年人気の七福神めぐりの途中にある、丹波一宮。名の通り、大国主命を祀る。元明帝の頃、和銅年間の創始という古社で、裏山から湧き出す名水を求めるポリタン族も数多い。 |
拝殿 | 鳥居脇の朱玉垣 |
本殿の玉垣 | 水場越しに本殿 |
ここは、三匹が斬る!「鬼と呼ぶ男に惚れて薄化粧」で、岩槻代官領として使われた。悪代官の出した奢侈禁止令に泣かされる民というお話で、千石こと久慈慎之介が蘭方医に心酔するエピソードがある。腹痛を起こし呻いているところをその医師に助けられるくだりと、医師が暗殺されるくだりに境内が使用されている。腹痛のシーンは鳥居脇の朱玉垣のそば、刺客が福本清三の暗殺シーンは本殿の玉垣のそばで撮られた。暗殺の直前、千石は届け物を頼まれ医師と別れて命を救えないことになるのだが、別れる二人の姿が手水場の屋形越しに拝殿を背にしている。もちろん、龍の口から迸る水も映っている。 同シリーズ「父恋の、凧空に舞い草枕」では濱崎藩領。旅の絵師に姿絵を描いてもらうお恵の姿が舞殿前にある。お恵が狛犬の下で花を持ってポーズをとっていると、「たこ」こと燕陣内が駆けてきてわざとらしくお恵のそばを通り過ぎ、狛犬をぺたぺた触り「いたいた探したよお恵ちゃん」と軽口を叩く。 |
亀岡市千歳町出雲 |
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■ 平の沢池 |
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池尻の大池三つは、古くは平野沢と呼ばれた。現在は麓に池尻天満宮の鎮まる呉弥山を巻くように続いてある、上中下三つの池である。中池と下池はほぼつながっているが、堤で仕切られている。この堤がロケに使われる。 池端は「水鳥の道」として整備され、散策路や休憩用のデッキなどが設けられている。オニバス自生地としても知られる。冬には多数の渡りのカモが入り、時折カワセミの姿も見られる。堤は春、タンポポの黄色に縁取られたいへん美しい。 |
平の沢池 中池と下池境の堤 左/下池側から側面(冬)、右/堤上から東望(春) |
ここは必殺10周年記念スペシャル・必殺仕事人大集合で、旅ゆく中村家のくだりで使われた。設定は蒲原宿を発ったあとの東海道筋、中村主水は長崎奉行所に転勤という話で、その旅程である。蒲原宿で、主水は男に金を持ち逃げされてぼろぼろの乞食姿の加代と出会うのだが渡してやったのは小銭、加代は主水を追って来て自分も長崎へ行くと縋る、その街道がここ。まず、せんとりつが先に立ってせかせか歩き主水がとぼとぼついて行くさまが、上写真左の側面から堤を見るアングルで映し出され、加代が追い縋ってくる段では上右写真の堤中ほどから東を見るショットに切り替わる。現在とは中堤の草深さや、池の護岸が少し違う。 具体的に東海道のどこを指すのかは判りにくい。それというのも、この直後画面は海浜に切り替わり「舞阪」とテロップが出るのである。…蒲原から舞阪ではずいぶんとあり、清水湊から安倍川に大井川、天竜川まで越えてしまうので、どう考えてよいやら皆目見当もつかない。しかし両側が水面のこの堤、なかなかに旅の情緒は醸し出している。また、このシーンでは鮎川いずみの歌う「冬の花」が鳴り響くのである…加代はずたぼろの歩き巫女だけど。 |
亀岡市馬路町池尻 |
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■ 保津小橋 |
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この潜没橋は、保津川下り乗船場の少し下手に架かっている。このスタイルは各地にあるものと同様洪水対策で、増水時には濁流が橋を越えて流れる。ふだんは車も渡ってゆく、のどかな橋。保津川下りの船が次々とくぐってゆくさまは、見ていて飽きない。 |
盤嶽の一生「落としもの」は、盤嶽が拾った胴巻に入っていた大金をめぐって起きるどたばたコメディ。この金は怖ぁいヤクザの親分のもので、マドンナを苦界から救うため駕籠かきの青年が一部使い込んでしまっていることから、事をまるくおさめるため八州御用の十手持ちが一計を案じる。すなわち、盤嶽をすみやかに当地から去らせ、彼が全部盗って逃げたことにするプランである。その、盤嶽を駕籠に乗せて走り渡る橋がこの沈下橋。かなりロングの映像で、一見四万十川かどこかにも見えるが、船下りのため水制を置かず開けてある一角でここと知れる。 新必殺仕舞人「八木節は悲しい村の恨み節」では、悪代官を始末して渡河村の民を救った仕舞人チームが、八木節に送られながら去る橋。20年以上も前で日吉ダム建設以前の映像ゆえか現在と川相は些か異なるものの、右岸側の三本足の橋脚と中央部の一本足の組み合わせは今と変わらない。 暴れん坊将軍9「消えた香炉 正直三姉弟の災難」では、紀州家の家宝の香炉を奪おうと襲う一団が走り渡る、渋谷川の橋。川面から立ち昇る霧が印象的。 |
亀岡市保津町−古世町間 |
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■ 篠八幡宮 ( 篠村八幡宮 ) |
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国道9号線の王子から分岐のある旧山陰道に面して鳥居が建つ口丹波の古社で、国ざかいにあって京師の厄除けとなるお宮さん。 篠は足利氏の領地で、元弘3(1333)、このやしろに戦勝祈願した尊氏は挙兵し、老ノ坂を越えて京へ殺到した軍勢は六波羅に北条仲時を討ち果たすに至る。これは「建武の中興」の魁となる事件であった。社は戦国期に焼けたが「矢塚」や「旗立て楊」が保存され、歴史の息吹を今に伝える。鄙びたやしろであるが、境内外のそちこちに掲げられた説明板を拝見すると、当時の生々しい情景が身の裡に湧き上がってくる。この史蹟で、硬派な時代劇の重要な転換点となる一幕が撮られた。 |
乾疫神社 | 灯籠越しに裏参道方面を望む |
本殿脇から南望 | 水場の屋形越しに表参道方向を望む |
緊張に満ちた逃避行を描く斬り抜けるは、助平藩主が臣下の妻女を狙ったことから起こる悲劇。上意によりやむなく親友を斬った楢井俊平は、その直後藩主の姦計を知る。このあと、友の妻と幼な子を連れた俊平は幕府に殿の非道を訴えるべく江戸への旅に出る。その旅程は追っ手との壮絶なバトルの連続、しかし結果は全て空しくやっと情を通じ合った女も儚く散る。その直後、追っ手にして親友の父、俊平の剣の師でもある嘉兵衛に真実を告げる藤枝宿のお宮さんがここ。弥吉に呼び出されてやってきた嘉兵衛が俊平の血を吐くような告白を聞くシーンは、摂社の乾疫(いぬいやく)神社前で撮られた。嘉兵衛老人は俄かには信じず黙って去るが、帰った宿では藩主に妻を差し出すよう命じられた侍が腹を切っていて、俊平の話が真実と覚った老爺は怒りに燃え美作へひた走るのだった(使用作は斬り抜ける・俊平ひとり旅に改題後第一作の「城中乱入」)。 乾疫神社はここに八幡神が勧請される以前からあったやしろ。疫神社として今宮や石清水と並び日本でも最古クラス、御霊信仰に基づきスサノヲを祀る。このお宮さんまわりはドラマが撮られた当時と変わらないが、火野正平が佐藤慶を連れてくるシーン(水場脇)などは同じアングルを得にくくなっている。 |
亀岡市篠町篠 |
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■ 穴太寺 あなおうじ |
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摂丹往還道の辻に建つ、奈良期の末に創建された古刹。 幾度かの火災を経て、現在の堂宇は江戸期に再建されたものという。みほとけや庭は室町期のもので、丹波の名庭として聞こえる。 ここは西国二十一番札所でもあり、いつも多くの巡礼さんで賑わう。 |
てなもんや大騒動(1967年東宝)は、最高視聴率60%を越したこともあるというコメディ時代劇「てなもんや三度笠」の映画版で、テレビと同様あんかけの時次郎(藤田まこと)と珍念(白木みのる)が賑やか道中を繰り広げる、歌あり踊りありの楽しいドラマ。 幕末、勤皇の志士はモテると踏んだ時次郎が京都行きを思いつき、珍念も同行する。宿に選んだ末寺「証城寺」でニセ坂本竜馬の財津一郎に会い、金を騙し取られたりするが、その寺がここ。 寺へ入る二人の姿は境外からはじまり、塀外の道も映るがこれが地道なのに驚かされる。境内は今と変わらず、本堂や多宝塔に鐘楼、山門とほぼ全ての施設がぐるっと映し出される。また、スクリーンでは知恩院クラスに広く見えて面白い。 |
亀岡市曽我部町穴太東辻 |
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■ 廣峯神社 |
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本梅の里にある、出雲族ゆかりと伝わる古社。古い信仰形態を伝える磐盤も残っている。 祭神は素盞嗚尊(スサノヲノミコト)、明治までは牛頭天王と称された。 社の脇には清冽な谷水がほとばしり、里へ下ってゆく。 |
社前の祠と鳥居 | 社脇の林道 |
本殿 | 舞殿 |
痛快・三匹が斬る!「尼様の仕組んだ騙りは天一坊」は、タイトル通りのご落胤もの。舞台は舞鶴・田辺藩で、藩主の病重く世継ぎが無いので存亡の危機にある。藩政を壟断する悪家老は、己の手駒としてご落胤を持ち出すがこれがとんでもない乱暴者で、こんな男に上に座られては民の嘆きと千石たちがすり替えを画策する。この際、息子の行状を知るご落胤の生母も同調し、不肖の若様は退場の運びとなる。 若様の御生母の尼御前が舞鶴へやって来る街道筋、たちの悪い駕籠かきにからまれているところを千石が助け舟というシーンは鳥居前で撮られた。その前に千石が道端で金が落ちていないか草むらをガサガサやっている道は、鳥居脇にある林道。 後段、不肖の息子にこんこんとお説教する尼さんのくだりは、本殿前。千石が石段の上に座り込んでいる。 |
亀岡市本梅町中野 |
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■ 園部城址 |
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園部城は、数奇な経緯を持つ。 この地には元和年間に小出氏が入封し維新まで続いたが、陣屋が築かれたのみであった。これが一転、徳川の治世も終わった明治の世に至り、新政府に請願して城の整備がはじまる。三層の櫓や巽櫓などが建てられたのは明治元年から二年にかけて、戊辰戦争が戦われていた期間の普請である。そして世の趨勢定まった明治五年、せっかく作ったお城はほとんど毀たれることになる。 いま跡地には公園が整備され、コンクリート製の小さな天守(右写真)が建っていて、手前にはプールがある。これは撮影には使われない。残った巽櫓は園部高校の一部となり、これがロケに使われる。 |
府立園部高校南門 |
また又三匹が斬る!「摩訶不思議、恋の行方と肉付面」は、次期藩主の若様の恋と、地位をめぐっての骨肉の争いを描くお話。富山の薬売りの娘に恋する若様は、お城を空けて出て行ってしまい、近習が苦肉の策で身代わりをつとめる燕陣内にお面をかぶせて繕うというのが、タイトルのエピソード。金ヶ崎城大手のシーンがここで撮られている。アングルは上写真上段左と同じ。 斬り捨て御免!第二シリーズ「女渡り鳥凶状旅」は旅もの、舞台は上州・風間宿。お城では、聡明な殿を監禁し首をすげ替えようとする城代の陰謀が進行中。ここへ、殿様の活発な姉姫が渡世人に身をやつし登場、城代の悪事を暴くべく奔走するというお話で、いよいよ城へ乗り込む姫のシーンが門前で撮られた。 2005年の国盗り物語では、主君・信長の苛烈さに苦悩し離反する荒木村重の城・摂津伊丹城として使われた。説得に訪れた明智光秀が帰ってゆく姿が門前にあり、荒木家に嫁いでいる光秀の娘が、父の背を櫓門から見ている。 |
小体なお城に適当なものはなかなか無く、よく大寺の門などを工夫して使うなどされるがお城の雰囲気は出にくい。そうした用途にぴったりのサイズと作り、得難い素材である。 この立派な門のなかには、右写真のごとく近代的な学校が建っているのも面白い。 |
南丹市園部町小桜 |
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■ 琴滝 |
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この滝は、ふだん水の無い滝。滝の上に灌漑用の溜池があり、オーバーフローが滝へ導かれるようになっているが、よほどの増水時以外、溢流は見られない。ちょろちょろと岩盤を伝う水は、池からではなく脇の水路から出ている。ところの名勝としては些か情けない姿であるが、轟々と水を落とすさまをドラマの中に見ることができる。撮影時には、この岩肌をオーバーハングして流下する、華麗にして豪快な滝が出現するのである。 |
滝壺から見上げ | 滝壺付近 |
岩盤の下方に入った斜めの切れ込みが特徴 水があればここで激しい跳水をみる |
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滝の中ほどにある祠 ここでの撮影も多い |
池尻から見た滝上の溜池 この上にもう一つ池がある |
劇中で轟と落ちる琴滝は、箱根山中の滝や、各地の霊山にも用いられる。シチュエーションはほぼ深山幽谷、霊剣を求めて走る陰陽師や、刺客依頼を受ける拝一刀の姿などが滝周辺に見られる。将軍吉宗の命を受けて羽黒山で探索に奔走するお庭番が、滝周辺を駆け抜けたりもする。三匹のご隠居のオープニングでは、谷啓演じる忍者が派手なアクションを繰り広げる。必殺まっしぐら!では、闇の仕事人が滝の前で山伏を仕留めている。 琴滝使用例にはトンデモ設定もある。1983年版大奥でのそれは、なんと江戸城内。家綱の正室である伏見宮の姫が身投げしたり、家治の正室が墜死したりする、紅葉山の「滝」なのである。紅葉山は神君を祀る東照宮がある一角で、森閑とした厳かな雰囲気ではあろうし、それなりに起伏もあると推測できるし、ちょっとした谷になっていても不思議ではない。しかし、よしんばその谷に滝があったとしても、どどーって落ちてる滝なはずないじゃないか、どこに水源があるんだと、突っ込みたくなる。「水のある琴滝」の写真(左)を借りてきたのでご覧頂きたい。いくらなんでも城中には有り得ない光景なことは一目瞭然、しかしこの例によって、時代劇ロケ地の書割的な性格が浮き彫りにもなる。御台所の悲劇の心象風景として、轟々と流下する水は抗い難い運命を暗示するのによい背景となる。しかし、江戸城っていったいどうなってるんだと、見ていた人は疑問を持たなかったのだろうか。 |
☆琴滝使用例一覧 |
船井郡京丹波町市森( 旧丹波町地域 ) |
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