山科盆地の山際にある真言の門跡寺院、勧修寺(かじゅうじ)は昌泰3(900)年に土豪・宮道家の屋敷跡につくられた。 その家からは醍醐帝の母となった女御が出ていて、寺名は帝の命名になる。 鎌倉期に後伏見帝の皇子が入山して門跡寺院となり、徳川将軍の帰依を受けて伽藍が整備された。 |
宸殿 | 勧修寺形灯籠 | 書院 |
宸殿と書院は共に院の御所が下賜されたもので、建築遺構としても価値が高い。宸殿前には明るく芝地が広がり、書院前には凝った植栽がある。植え込みの中には変わった形の灯籠があり、水戸光圀公の寄進という。 |
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参道には、長い塀が続く。東側には見事な枝垂れ桜の並木が沿う。 エントランスには立派な築地が狭間を見せている。 この参道を使った印象的な例は、勝新太郎が破天荒な北町同心を演じた映画御用牙の第三弾「御用牙 鬼の半蔵やわ肌小判」に見られる。 やることなすこと横紙破りの同心・板見半蔵は、老中に西洋文明導入を駕籠訴したかどで捕縛された医師を連行するよう命じられたのもどこ吹く風、医師を自宅に連れ帰り匿う。 保護するだけならふつうのドラマだが、半蔵は医師に西洋式大砲を作らせてしまう。使う素材がまた、阿漕な検校を脅しつけて銅瓦を巻き上げてくるからたまらない。 半蔵は医師を連行中取り逃がしたと届け出ていて捕縛の期日を切られているが、老中のもとにちゃんと届けると嘯く。そして届けかたというのがトンデモで、登城途中の老中の行列の前に医師と大砲を持ってくるのである。医師は大砲をぶっ放し、老中はお供にも逃げ去られて煤まみれで茫然。医師が老中に西洋文明の要を説いたあと、半蔵が出て労咳で余命幾許もなかった医師を謀反人として斬る。半蔵の手下が大砲ごと医師の亡骸を爆破し、老中は検校とつるんでの悪事を指弾されこくこくと頷くのみ。この爆破シーンを含む派手な場面が、ここ勧修寺の参道を使って撮られた。アングルは参道を南北双方から見たものが使われている。 |
山門の築地 |
三隅研次監督の映画「尻啖え孫市」では、参道のほか境内も使われた。 司馬遼太郎原作の、希代の快男児・雑賀孫市を主人公とする痛快作である。 時は戦国、天下統一を目指す織田信長が朝倉攻略にかかる頃のお話。 その織田の城下・岐阜へ、京で一目惚れした女が信長の妹と聞いた孫市がやってくる。 この奇特な好き者が日本一の鉄砲集団・雑賀衆の首領と知った織田の侍大将・木下藤吉郎は、信長の前で雑賀の力を披露させるべく舞台をセッティングする。 試技のくだりが、ここ勧修寺を使って撮られた。設定は、話の流れからは岐阜城と思われる。原作では琵琶湖畔・長楽寺村(現安土町)に張られた信長の本陣。 まず、えりすぐりの配下五人を従えた孫市が塀の外で待つシーンは、上写真の山門前で撮られた。 癇性なあるじ・信長と、プライドの高い孫市の間にたって気苦労な藤吉郎が、不愉快なことがあっても堪えてくれるよう孫市に頼み込んでいる。 孫市は中村錦之助(のちの萬屋錦之介)が、藤吉郎は実弟・中村賀津雄(現賀葎雄)が演じているので、やりとりが絶妙におかしい。 |
観音堂 |
試技が行われる広場は、観音堂の前に広がる芝地にしつらえられた。 信長の座所はお堂の前にあり、芝地には供揃えの武将がずらっと居並ぶ。警護のための織田方の鉄砲隊がわらわらと出てきて、雑賀衆に銃口を向けて構える。孫市は気色ばむが、藤吉郎の泣きそうなとりなし顔に折れて、試技にかかる。 |
氷室池 |
氷室池にはびっしりと睡蓮が生え、水中には無数の鯉が潜む。いろんな鳥もやってくる。拝観窓口には飛来した各種の野鳥の写真が飾られている。 池畔の芝地に佇むと、心洗われる静寂が身を包む。すぐ傍を名神高速が通っているとはとても思えない風情の、貴重な空間である。 |
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京都市山科区勧修寺仁王堂町 |
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