大坂城は、上町台地の北端に建つ、「天下人」豊臣秀吉が築いた広壮な城。
いま見る大阪城の天守は三代目。初代は秀吉がつくった黒漆に金張りの絢爛たるもので、夏の陣において炎上、消失。二代目は徳川氏が建てた白亜の天守で、豊臣時代より大きく高くなっている。これは落雷により失われ、いまあるのは昭和初期に建てられたコンクリート製のもので、デザインは初代を参考にしてある。三代目の昭和の天守は平成の大改修を経て、上層部の装飾も華麗な輝きを取り戻している。
大阪城は姫路城や彦根城と違い、時代劇で使われる際は他の城に見立てられるよりも当の「大坂城」としてのことが多い。あまり寄った画だと、太閤風味の金ぴか部分が見えてしまう事情もある。
使われる個所はさまざまだが、大手前の官庁街やOBPが映り込むアングルはもちろん避けられる。城の鬼門にある砲兵工廠跡のビジネスパークは近年つくられたもので、古い作品では北東向きの画も見られる。
今やお城は高層ビルに詰め寄られ、遠くからは上写真の如くの風景となっている。
大手口は府庁やBK等の官庁が立ち並ぶ、西側にある。もとは三の丸に通じた生玉口にあたる。外濠を切るかたちでスロープがあり、大手門に導かれる。左手には千貫櫓が張り出して大手の防備とされている。大手門を入ってすぐには巨大な多門櫓が立ちはだかり、威容を誇っている。 大手口は、1983年版大奥「京より天女が舞い降りた」で、矢島局の仕打ちに耐えかねた家綱の正室・顕子が京へ帰るため出る江戸城の門として使われた。浅宮の駕籠は大手門をくぐり、スロープを中ほどまで来たところで止められる。大奥で経験した様々の事柄を走馬灯のように思い出す顕子は、侍女の飛鳥井の身の上に思い至って駕籠を返させるのだった。この際、画面は大手口を遠望するショットに変わる。このお話では、江戸城大天守が明暦の大火で焼け落ちたことが将軍家綱のトラウマになっている設定なので、天守が映りこまないアングルがとられている。お端下女中のエピソード「赤ちゃん騒動記」では、ミヤコ蝶々演じる老女中が大奥を辞すくだりで、大手門で見送られている。
極楽橋は内濠に架かる橋で、山里曲輪から二の丸に通じたもの。橋北詰からは天守がきれいに望まれ、「余計なもの」は一切映り込まない。橋は木で装飾され、立派な擬宝珠もついている。 中村吉右衛門が密名を受け悪を斬る豪快な番所頭取を演じた斬り捨て御免!の第三期は、「翁の御前」と呼ばれる謎のフィクサーと三十六番所との死闘を描くシリーズ。最終話において、怪人が籠るのが大坂城。そのイメージに、極楽橋から見た天守が使われた。
天守の真北には山里丸があった。茶や能が催された風流の場で、今は石垣を残すのみ。夏の陣においてここで淀君と秀頼が自刃したとされ、碑が立っている。 不義者・俊平が愛する「菊さん」を亡くしたあと、更なる修羅と化して旅をゆく斬り抜ける・俊平ひとり旅の「黄金振舞」は大坂が舞台。陰惨なエピソードがこれでもかと連続するシリーズ中にあって珍しく明るめのお話で、中村玉緒演じる掏摸女とともに大坂城の金蔵を狙う経緯が面白いが、金蔵を襲ったことにより、俊平は出身藩の追手に加え幕府からも睨まれることになる。相棒の火野正平を役人として送り込むくだりや、工事人夫としてまんまと入り込む俊平たちのくだりに、上写真の広場付近が使われた。上写真左の天守見上げと同アングルの画もあるが、石垣が今と少し違う。
斬り抜けるの大坂城金蔵破りの段では、ほかに桜門も使われた。入ってゆくシーンのほか、盗った金を早桶に入れて運び出すシーンにも使われた。
青屋門は城の丑寅にある裏門。多門櫓と比べると規模も小さく、簡素なつくりとなっている。通常は閉ざされていたというこの門は、いま多数の人が行き交うところ。上写真右の遠景にあるドームは大阪城ホール。この付近では、所謂「大阪城ストリートLIVE(城天)」が行われる。 江戸を斬る 梓右近隠密帳「将軍家謀殺」で宇都宮城として大坂城が使われた際、ここも使われた。由井小雪が送り込んだ張孔堂メンバーが出てくるのを右近が見るくだりで、右近は城代家老の下城を迎えに来ている。同「反乱前夜」でも、徳川頼宣が江戸城を下がってくる際に使われている。 *大阪城ロケ使用例はロケ地資料「大阪府」に 大阪府大阪市中央区 |