本梅川の小支流がつくる谷の奥、里も尽きた道隈に、絵に描いたような辻堂がある。 ドラマに使われるシチュエーションは、ほぼ街道筋。関八州から東海道をはじめ、あらゆる地方の「道」として登場する。 お堂には、風化して目鼻だちも定かでないみほとけが安置されている。屋形のつくりはごく簡素、前後左右どの角度から見てもさまになる。お堂の前に座り込んでみたり、裏に潜んで道を見張ってみたり、ときには脇に茶店がしつらえられることもある。
新・座頭市「父恋い子守唄」では、旅に死んだ女に託された坊を追分宿へ送ってゆく座頭市が休む茶店が辻堂前にしつらえられた。少しもじっとしていないいたずらガキが蜂の巣を突付いて大騒ぎになるシーンで、やんちゃ坊に手を貸す辰巳柳太郎の爺さまや、坊を狙う岸田森の殺し屋や爺さまを狙う浪人などが交錯する。
三叉路の道隈はなかなか絵になる。組み合わせによりさまざまな風景が現れる。 吉宗評判記 暴れん坊将軍「駆けろ!天下の紀州号」は吉宗が異国の馬を導入して改良を計画するお話。導入の是非はレースで決めることになるが、そのコースの一部分がここで撮られた。上写真右と同じアングルの画があり、亀岡道から馬が駆けてくる。道隈が映ると、空間の広がりがとてもダイナミックに見える。
亀岡へ通じる道は、上写真上段左の奥で山に当って曲がり、登り道となる。年代によっては、登り道の崖に赤土が露出していることもある。山道を降りてくる、登りにかかる、高みから谷を見下ろすなど、さまざまな良いアングルが得られる。使用例は辻堂前に次いで多い。 新必殺からくり人「藤川」は、西崎みどり演じる薄幸の盲いた少女が愛馬を宿役人に召し上げられてしまう話。彼女が馬子唄を高らかに歌いつつ、愛馬のフジを牽いて通る街道が亀岡道。彼女の前に馬をとられた被害者の青年が斬られたのはお堂前で、青年の愛犬がお堂で待ち続けるという哀しいエピソードがあり、芦屋雁之助が聞き込みをしている。翔べ!必殺うらごろしでは、「先生」が悪代官を仕置するのに待ち構えているのが亀岡道で、助走なしで大跳躍した中村敦夫は、馬上の代官の真上から旗竿をぶっすりと突き刺す。雪姫隠密道中記の第1話では、先に述べた赤土の露出がくっきりと見えている。必殺仕舞人「織姫悲しや郡上節」では、一座が賑やかに郡上へ差し掛かる冒頭の場面が亀岡道で、お堂脇に「紬の里」と書いた道標をあしらってある。紬を知らなくて「食ったことねぇもん」と吠える本田博太郎の背後は、真っ青に日本晴れ。
亀岡へ抜ける道を、更に登ったところで里を見返るアングルも使われる。 片岡孝夫(現・仁左衛門)が虚無に生きるニヒリストを演じた旅もの眠狂四郎 円月殺法が好例で、東海道を西へ向かう狂四郎がゆく街道として使われた。
八木へ通じる道は今も地道。細長い谷地田の山際に道が通じている。谷地形なので、道はうねうねと曲折している。分岐を入って間もなくの山ふところには小さなやしろがある。岩盤が露出したところに祠があり、急な石段がついている。 吉宗評判記 暴れん坊将軍「心の鎖は人情で裂け!」は、甲府へ代官を懲らしめにゆく話。甲州街道をゆく徳田新之助が、お堂の前を通り過ぎ八木道のほうへ折れてゆく。
大内神社は、辻堂へ行くまでの里のなかにある。市の名木に指定された大杉が目を惹く。幹周8m、樹高36mという巨木で、鳥居の際にある。 ここは、雪姫隠密道中記「焼蛤剣法の助太刀」で使われた。やっとう狂いの桑名の焼蛤屋の若旦那が、おこぼれ目当ての取り巻きにいいようにタカられているのに我慢ならない雪姫は道場に逗留、ここへ葵新之介が「道場破り」にやって来て「あら」「奇遇ですな」と互いに照れたあと、それぞれの目的について話すお宮さんがここ。導入には巨杉を見上げてのダイナミックな画が使われ、その後も杉の根方で話すシーンがある。 古い作品では、辻堂付近の様相は現在とかなり異なる。お堂前はいま水田だが、草ぼうぼうの野原のこともある。お堂まわりの松も今は二本きりだが、もっとたくさん生えている映像も見られる。だいいち前の道が地道だったりする。また、堂前の道の農地側にも松並木が見られる例もある。 電信柱ができているため、アングルが制限されることもあり、新たな撮影は行われないかもしれないが、変化を嘆くよりも残しておいて下さったことへの感謝の念が先に立つ。扉から覗き込んだお堂の中には、新しい花が供えられていた。 *「大内辻堂」は筆者の造語で、正式名称ではありません。お堂に祀られている仏さまが観音さまなのか地蔵さんなのか浅学にして判定できず、地蔵堂や観音堂でなくても道隈にあるお堂だから辻堂でいいかなと判断して、便宜上の呼称としました。筆者周辺では発見前には「おねむの祠」と呼んでいて、日記等にはそう書いてあります。 京都府亀岡市東本梅町大内 |