時代劇ロケ地探訪 建仁寺

 建仁二年(1202)、宋より帰朝した栄西禅師が建立した、京で初めての禅寺。祇園花見小路の突き当たりにあり、祇園甲部歌舞練場やウインズ京都が隣接する。観光客や馬券を求めるおっちゃんたちでごった返す路地から境内に一歩入ると、嘘のように静かで荘厳な空間が広がる。このいかめしい禅刹の境内が、武家屋敷街にぴったりとハマる。

■ 三門
 平氏の館を移築したと伝わる勅使門を入ると、放生池を経て三門に行き着く。二層の楼門で、御所を望むことから「望闕楼」の称がある。両翼にある花頭窓が美しい。
三門 三門から法堂を望む
三門翼の花頭窓 三門 内側(北から)

 三門は、月影兵庫あばれ旅の第二シリーズ最終話、兵庫と桔梗の珍道中のゴールとなる「京の都の鬼を斬れ!」で、「建仁寺」として使われた。兵庫が松平伊豆守の密偵に呼び出され悪事の証拠品の偽小判を渡されるが、密偵の職人は射殺され兵庫に嫌疑がかかってしまうという一幕。三門南面が使われ、開口部からは法堂の大屋根がのぞいている。また、建仁寺設定を強調するため「建仁」と浮き彫りのある軒瓦が大映しになる。
三門北面が使われたのは喧嘩屋右近「仇討ち指南」で、賀茂藩の若い殿様に指南役として仕えるよう要請されるも蹴る茨右近のくだり。お土産にと悪徳商人を入れた早桶を置いていったり、ご褒美に殿様の脇差を貰うがお金じゃなくてしょんぼり、というコミカルなラストシーン。喧嘩屋右近では、他の回で三門北側を使っての餅撒きなども撮られている。


■ 法堂
 三門の北には法堂が聳え立つ。仏殿を兼ねる伽藍で、天井には先ごろ壮麗な双龍図が描かれた。
法堂 法堂正面
法堂基壇 石篠
 法堂は、喧嘩屋右近「この世から消えたい女」で、大立ち回りの舞台になった。三門や林間を使っての派手な殺陣で、法堂基壇部では忍者集団とのチャンバラが繰り転げられ、忍びたちは基壇でトンボを切ってみせる。
法堂内陣の床は黒い石篠。外光が敷瓦を照らすさまが美しい。2004年の大河ドラマ・新選組!のオープニング、隊士たちのシルエットが外を駆けてゆくワンシーンはここだと思うのだが、こういう風景は禅寺によくあるので完全な特定は難しい。

■ 方丈
 法堂の南には、安国寺恵瓊が芸州から移築したという方丈がある。広々とした前廊からは、枯山水の前庭越しに法堂の大屋根が望まれる。塀際にはツツジの大刈り込みが配され大らかな味わい。襖絵は橋本関雪画伯のもので、俵屋宗達の「風神雷神図屏風」のレプリカも拝見できる。
方丈 方丈 前廊
勅使門と前庭 回廊花頭窓から前庭
 映画・必殺4 恨みはらしますでは、方丈前の白州で南町奉行のシンパである旗本愚連隊たちが詰腹を切らされている。もちろん心静かに自決などせず、じたばたと喚きちらし大騒ぎとなる。
幕府お耳役檜十三郎「紫袱紗に包まれた謎」では、大名諸家のスキャンダルを記した文書について密談するワルの大目付の用人のシーンが、回廊の花頭窓をはさんでのやりとり。このお話はその用人に強烈な皮肉をかます財津一郎のシーンで締めくくられるが、その「お城の御廊下」は方丈の縁先。東面と南面を使ってある。

■ 西側塔頭と路地
 勅使門から方丈に至るラインの西側には塔頭が並ぶ。ベージュの塀が続く西側の路地は江戸城下の武家屋敷街にぴったりで、塀際の刈り込みもよい眺め。クランク部分が風景にアクセントをつける。
禅居庵 禅居庵・久昌院間路地(北望)
久昌院・禅居庵間路地(南望) 久昌院前路地(北望)
久昌院 久昌院門から庫裏を望む
 禅居庵は、厳格な父と優秀な兄に逆らい家を出て無頼の日を送る若様の話・名奉行 遠山の金さん「旗本残酷物語 いれずみ侍の涙」でその旗本家として使われた。背に昇り龍の刺青を背負う若様だが、じいやに父の容態を聞き薬草を購めてやってくる。じいやが出てくるシーンでは門から見た内部も映っている。
禅居庵の北隣には久昌院がある。二つの塔頭の間には長塀がめぐるが、久昌院の塀は奥まっている。これにより生じるクランクが、西側の路地にアクセントをつける。暴れん坊将軍 III「さよならの花かんざし!」では、健気な姉娘がめ組を抜け出して弟に食べさせる握り飯を持って走る道。この路地はよく使われる。
久昌院は、喧嘩屋右近「この世から消えたい女」で、実家と婚家のいがみあいに巻き込まれたお腹さまが隠れ住む尼寺として使われた。お腹さまからタイトル通りの依頼を受けた茨右近は、彼女と若様に仮死に陥る薬を飲ませ、枕頭で空涙を流してみせたりするが結局バレて大立ち回り。悪家老が「甦った」母子を斬ろうと鯉口を緩めたそのとき、部屋の隅に置かれていた早桶をばりーんと割って右近が現れ「でぇへへへへへ」と笑う、カッコいいのかふざけているのかよくわからない仕掛けもある。このお芝居は久昌院内部も使って撮られた。新三匹が斬る!「血槍舞い、死んで咲かせた忠義花」では、汚職上司に消された奥州椿藩士の家族が涙ながらに組屋敷を去るシーンで使われた。妻子に付き添う老中間は、殺された侍を倅のように思い守り育ててきた男で、こののち主の槍をもってワルに立ち向かうが返り討ちに遭うという哀話。

■ 東側塔頭と路地
 勅使門−方丈ラインの東側にも塔頭がひしめく。平坦な西側の路地と違い、こちらの塔頭の各入口には石段が設けられている。このステップを横から見た姿が、画面に面白いリズムをもたらす。
両足院前路地(南望) 両足院前路地(北望)
開山堂 右写真は通用門
 東側の路地には一番南に浴室があり、開山堂、両足院、西来院と続く。よく使われるのは両足院前に立ち南を望むアングル(上写真上段左)で、開山堂通用門のステップ側面が斜めの動線をつくり印象的。各開口部から人を出入りさせれば、不思議な立体感が得られる。
 幕府お耳役檜十三郎「紫袱紗に包まれた謎」では、危地に陥った橘井院付きの別式女に助け舟を出してやった十三郎の仲間・鳥見役の又平が、ナンパしようとして逃げられている。名前ぐらいイイでしょと迫る又平に物も言わず斬りつける女、かわす又平だが女の姿はその隙に消える。腕組みをした又平は可愛い顔してと嘆息、「惚れちゃいそうですね」とやるのがおかしい。西側塔頭の禅居庵の項で述べた遠山の金さんの刺青侍の話では、寄宿先の米問屋をハメた大番頭をシメるのが両足院前。出世のためワルに加担している兄が現れ番頭に逃げられてしまうというくだりで、この際には南向き・北向き両方のアングルが使われている。久昌院の項で述べた喧嘩屋右近のお話でも、両足院前の路地が立ち回りに使われている。これも南北両方から見たショットがあるが、相手が忍者なので植込みからも出入りして派手。
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 南東端にある建仁僧堂への道は、境外と接するごく緩やかな坂。石畳と塀がよい雰囲気で、二本の門柱が特徴。この道は地元の人がよく通る抜け道でもある。
霊洞院(建仁僧堂) 僧堂門柱 見返り
 僧堂前の路地は、江戸を斬る 梓右近隠密帳「天下の一大事」で、大久保彦左衛門の一の子分・一心太助がハメられるくだりに使われた。彦左のじいさんは田舎大名と事を構えており、じいさんを失脚させるため太助が狙われるというお話。行商中の太助が女の悲鳴に駆けつけると、娘をさらわれたとオロオロする母親、しかしがってんだいと追いかけ開けさせた駕籠には、彦左と揉めている大名の家老が乗っていて「無礼者」で太助はそのまま捕まってしまい、彦左を陥れる道具にされてしまうのだった。このくだり、誘拐でキャーは両足院前、太助が「家老」の駕籠を開けさせるのが僧堂前の路地。東西両方のアングルがあり、門柱もしっかり映りこんでいる。
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 東側塔頭群の一番北にある西来院は、奥まった路地の突き当たりにある。門前のステップに車のためと思われる二筋のスロープが付けてあるのが特徴。
西来院
 西来院は、長七郎江戸日記「頑張れ!お父」で船手奉行の屋敷として使われた。長崎奉行就任を目論むワルは島抜けの賊とつるんでいて、大工を脅し商家の絵図面を要求するというお話。大工の息子からいつも蜆を買ってやっている長さんが乗り込んでワル一巻の終わりとなる痛快な一話。
 風間杜夫が一心太助を、丹波哲郎が大久保彦左衛門を演じた大暴れ!一心太助では、大久保の殿様の駿河台のお屋敷。大名とモメて旗本衆は駕籠での登城相成らぬと沙汰が下った際、彦左のじいさまが思いつく盥での登城という有名なエピソードが映像化されていて、丹哲は特注の大盥に乗り込み輿を仕立ててこの門を出てゆく。

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京都市東山区大和大路四条下ル小松町

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