本梅川が園部へ入ってすぐに、その橋はある。廃橋と書いたのは橋桁が落ちた状態で捨て置かれていて、橋標も読めず名前が不明ゆえの便宜的仮称。もう長いこと誰も渡らない橋の上には、草が生い茂っている。 丹波でも、摩気橋や犬飼天満宮の橋、そして七谷川の橋も架け替えられ、仕方の無いこととは言えなつかしい風景が消えてゆくのは寂しい。この橋もいずれ毀たれるだろうが、しっかり姿を覚えておきたい。 撮影に使われた例はやはり古いものが多く、せいぜい80年代初頭までのようである。この橋を使うとき、川堤や近くの神社も同時に使われることがある。 |
右岸側から南望 |
上写真はこの橋でもっともよく使われるアングル。背景にある林は藪田神社の社叢。堤上に見える白い筋は国道372号のガードレール。旧の篠山街道はもっと南にあり、この道は新道で、ドラマに映っているのは地道である。 |
左岸から | 右岸から |
落ちた桁 | 左岸堤 |
吉宗評判記 暴れん坊将軍「将軍はんて何どすえ?」は、京都が舞台。公式の上洛ではなく、水戸中納言に焚きつけられて上様は京都へやってくる。京都所司代が寂光院に三万両寄付との話を聞き、行ってみると荒れ寺で果たして大ウソだったというお話なのだが、この際大原の里として使われたのがこの橋。橋の上に上様と、同行した大原女の少女の姿がある。橋たもとに道標があしらわれていて、「是より大原の里
古知谷」とある。 同じく暴将第一シリーズ「据膳喰う奴喰わぬ奴」では、下総佐倉領・印旛村の橋。苛政に苦しむ民は一揆寸前、「非道を許すな」などと書かれた蓆旗が林立している。その村に巡検使が来ると知らせにゆく娘が駆け渡る橋がここ。アングルはやはり上の大きな写真と同じ南向きのもので、神社の林が村の情景として効果的。 吉右衛門が豪放磊落な鬼番所頭取を演じた斬り捨て御免!「野獣討つべし」では、上州の街道筋。番所衆に追われる大名のどら息子が、行き先をごまかすため仕立てたカラの駕籠が橋を渡ってゆく。 陥れられた父・熊本藩主の無実を訴えに江戸へ向かう旅が世直し旅となる雪姫隠密道中記の「命を賭けた韋駄天走り」では、飛脚屋の認可を賭けたレースが行われる道で、小松政夫と森次晃嗣が泣き笑いの競争を演じる道程の一つがここ。二人は北から南へ橋を渡ってきて、上写真下段右の、左岸堤を駆け下りてくる。左岸側から映す例は珍しい。 |
左岸堤から上流望 | 右岸堤 |
川堤を使う例もある。吉宗評判記 暴れん坊将軍「駆けろ!天下の紀州号」は外国産馬を導入し改良を計画する上様に、馬の産地である東北諸藩が難色を示すという話。裏にはお決まりの利権まみれの殿様や野馬奉行、御用の馬師などがいて曲折ののち、よくあるパターンで決着は馬競べでつけることになるが、そのレースコースの一場面がこの川堤。アラブ種の駿馬「紀州号」の乗り手はもちろん徳田新之助で、右岸堤を疾走する。小金井の牧場から出発するので、設定は玉川上水かも知れない。 藪田神社は、「橋」の左岸際に鎮座する式内社とも伝わる古社で、ツクヨミ・イザナギ・スサノヲの三神を祀るこの一帯の鎮守。社叢は町指定の風致林で、鳥居脇のクロガネは相当な古木。舞殿の萱葺屋根は鉄板に変わり、本殿には覆いが付けられてしまっているが、こんもりと繁った社叢は鎮守の杜の原風景ともいえる佇まいを残し、昨今の阿呆らしい「神社をめぐる論争」を彼方に吹き飛ばしてくれる。閉ざされた本殿の奥からかりこりかさこそ聞こえてきた、やしろに巣食う狸か狐かが発する気配も産土の尊さと共生のロジックを体感させてくれるのだが、アライグマだったらちょっとイヤかもしれない。 |
藪田神社 入口 | 鳥居から舞殿を望む |
参道脇のサルスベリ | 参道見返り |
雪姫隠密道中記「からくり喧嘩駕籠」は、小田原町奉行と組んでライバルを潰そうとする悪徳駕籠屋を懲らしめるお話。雪姫が悪い駕籠舁きにからまれた娘を「橋」で助け、事件に関わってゆく。このシリーズは中村敦夫の妙なはじけっぷりが見どころのひとつなのだが、この回ではわけてもひどい悪ふざけをする。姫のお蔭で駕籠舁きをさせられてヘトヘトの和田浩二とあおい輝彦の駕籠に、気味の悪い老婆に化けた中村敦夫が乗り込み、さんざん引き回した挙句正体を現すのがこの藪田神社。さすがに怒気を発した二人からひらりと身をかわした「左平次」中村敦夫が飛び乗るのが、上写真にあるサルスベリの木。境内に駕籠を舁き入れる段では参道の低い石垣も映りこんでいる。 京都府南丹市園部町若森、南大谷 *若森廃橋は筆者が勝手に呼んでいる名称で、正式名称ではありません。大内辻堂などと同じく、ウェブ上や書物に無かったため、この記事を挙げるにあたり便宜的に付けた造語です。 |